戦国中山王方壺を習う(26)

「使㝵(得)孯(賢)在(才)」   賢才(良佐の貯を)得しめ

「使」:2回目です。

「㝵」(得):「目」の部分は「貝」。貝を手にする様です。行人偏がつくものも甲骨文・金文双方にあり、行きて財貨を獲得する様をあらわします。なお、活字の「旦」の部分は「貝」の下部を簡略化したもので秦簡以降にその痕跡を認めることができます。

「孯」(賢):2回目です。

「在」(才):「在」は「才」と「士」とからなります。「才」は木に祝祷の器(▽の部分)を掲げた形で、神聖であることを示す標木の象で「在」の初文にあたります。「土」にみえる部分は鉞の形「士」です。

戦国中山王方壺を習う(25)

[(衡)其又(有)忨」   (天)其の忨あるに衡(抗)わず

」(衡):字形は「ク・日・矢」から構成されていますが、もともと上は「角」で下は「大」であると推定され、「衡」の省形と思われます。「衡」は牛の角木(つのぎ)で、角が人を傷つけるのを防ぐために両角を横に渡した木で結ぶもの。「横」は「縦」を順とすれば逆にあたり、音のコウは「抗」にも通じます。これらのことから「衡」は「違抗」(抵抗する・逆らう)や「拂逆」(悖る)の意を持つと考えられます。一方、白川静氏や小南一郎氏はこの字を「斁」(エキ)で「厭う」意としていますが、「斁」の字は同じ方壺の中に別の形で使われていますので、これを「斁」とするのは無理があるように思えます。よってこれを「衡」、また「抗」にも通じて「もとる・さからう」意であるとします。

「其」:「箕」(み)の初文です。其が代名詞や副詞に用いられるようになり、「箕」が作られました。

「又」(有):2回目です。

「忨」:音はガン、貪るさま・欲深く望むこと、そのような願いをさします。これを諸賢は「願」を通仮させていますが、「忨」のままでも良い気がします。偏旁をこのような配置構成にするのは珍しいといえます。

 

 

戦国中山王方壺を習う(24)

[使能天不」  能を使ひ、天(…斁は)ず

「使」:ここでは「つかう」の意で用いています。声符の「吏」は祝祷の器を架けた祭木である「中」と手をあらわす「又」(ユウ)とからなる字で、祭事を外地へ赴いておこなう「事」に対して内祭をさす字です。その祭事の使者を「使」といいます。「中」の部分は同じく祝祷の器からなる「者」の下部と同形となりますが、玉飾からなる「皇」の上部でも同じ形にしています。

「能」:[説文]では熊の属としていますが、金文の形はやどかりの類である嬴(エイ)に近いものです。右部の羽根のように見える部分が背負う殻の形が変化したものです。また、「能」が「態」に通じるのは「能」の古音が「タイ」に近いためです。

「天」:正面を向いた人の頭部を強調した形です。上部に一画足すのは春秋以降の諸器にみられるものです。

「不」:2回目となります。

戦国中山王方壺を習う(23)

[(寬)惠 (擧)孯(賢)」  (慈孝)寬惠、賢を擧げ

」(寬) :「」はおそらく「寰」(カン)の異体字で「寬」に通仮すると思われます。「袁」の上部は「止」の左下から一画出す形ですが、これは「之」の変化したものです。

「惠」:叀(ケイ)は上を括った袋の形ですから縦画は貫くべきものですが、ここでは上下に分けているようです。寬恵とは心が広く情深いこと。《荀子》君道に「寬恵而有礼」、《管子》八観に「威嚴寬惠」の句がみられます。

」(擧):「與」の「犬」を添える形ですが、「擧」の通仮字と思われます。

「孯」(賢):「孯」は「堅」の異体字ですが、「賢」と通仮すると思われます。

戦国中山王方壺を習う(22)

[所放慈孝」  放(なら)う所、慈孝

「所」:2回目となります。「斤」を除いた部分は左扉の形です。

「放」:方は逆さに架けられた屍でこれを打って邪霊を放逐して祓う様です。「放」には「はなつ・はなす・ほしいまま・おく」などの意がありますが、「倣」と通じ「ならう、まねする、のっとる、にかよう」の意も持ちます。ここでは「ならう」の意です。

「慈」:茲と心からなりますが、「茲」の初形は糸束である幺(ヨウ)を並べた(ジ)です。「茲」は上部にある糸たばの結びめを艸(ソウ)と誤まったものです。

「孝」:先の「考」と同様で、「老」に含まれる屍をあらわした「」(カ)を略したものに「子」を組み合わせた形です。「おやおもひ」の他、「父母や先祖をまつりつかえる・年輩者によくつかえる」意をもちます。右の「乙」形の画はもともとは左の部位と一体のものですから接するようにして書きました。

戦国中山王方壺を習う(21)

[孫用隹朕」  (子)孫に(施及し)用ひん。隹(こ)れ朕(わ)が

「孫」:子と系からなる字です。「系」は呪飾としての糸束が垂れる様ですが、長く繋がる様から血脈の系列にある存在を示しています。

「用」:木を組んで作った柵状のもの。取っ手をつけると甬となります。文章中では「もって」と読んで訳します。

「隹」:尾の短い鳥の形です。文章中では「これ」という発語になりますが、後に「唯・惟・維」を用いるようになります。右の弧状の画は本来直線的なものですが、中山篆の特色として、このように線の動きを活発にさせるため線のベクトルを外に向かって放射するように変化させます。

「朕」:正字はで舟と(そう)からなります。は両手でものを奉ずる形です。《字通》には「殷代の卜辞に王位継承の順位者を示す語として子(し)・余(よ)・我・朕があり、特定の身分称号であったが、それらがそのままのち、代名詞となった。金文に朕を一人称所有格に用いる。…朕の本音はヨウ。古くは一人称の所有格に用いた。朕(ちん)とよんで天子の自称とするのは、秦の始皇帝にはじまる」とあります。なお、中山篆では両手でものを奉ずる形について、両手の間に短い横画を装飾的に加えます。朕以外では例えば「戒・送・弇(エン)・棄・彝・闢()・與」などです。ただし、「與」に関連する「舉」などのように両手の間に別の要素が加わる場合は二画を入れません。加えて、「奔」については両手で奉ずる形「廾」(キョウ)が「卉」の中にあるようにみえますが、これは足早に奔る様である「歮」(ジュウ)が誤って変化したものです。中山篆ではこの「奔」を「止」ではなく、「山」形を列べる形にしています。