王維詩「過香積寺」 香積寺(こうしゃくじ)を過ぐ

王維詩「過香積寺」 香積寺(こうしゃくじ)を過ぐ

王維詩「過香積寺」
不知香積寺  知らず香積寺
数里入雲峰  数里雲峰に入る
古木無人径  古木人径なし
深山何処鐘  深山何れの処の鐘ぞ
泉声咽危石  泉声危石に咽(むせ)び
日色冷青松  日色青松にひややかなり
薄暮空潭曲  薄暮空潭の曲
安禅制毒竜  安禅毒竜を制す
 

この詩は王昌齢が詠んだとする説(『全唐詩』・『文苑英華』)もありますが、ここでは『唐詩選』などに従い王維詩として筆を執りました。

王維(『旧唐書』699年 – 759年)

香積寺は西安市に現存する中国浄土宗の祖庭(宗祖もしくはそれに近い僧が宣教し埋葬された地)です。安史の乱や文化大革命で荒廃に曝されましたが、その後再興成り現在に至っています。香積寺と称すようになったのは唐の中宗の神龍2年(706年)以降で王維がこの詩を詠んだときは長安の名刹として知られた存在でした。

この詩の情景を辿ると、王維は香積寺の伽藍に入ったのかについては判然としません。香積寺に特別の関心を示すわけでもなく(不知香積寺・深山何処鐘)、むしろ伽藍には立ち入らず、寺から離れたひとけのない川の淵に暫し座禅をくみ己の内面に巣くう煩悩や世の乱れに対する怒り苦しみを鎮めようとする王維の姿を髣髴とさせます。いかに名刹との名声があろうとも、王維にとっては深山遠くに聞く鐘(深山何處鐘)、険しい岩に水流の砕け散る音(泉聲咽危石)、陽に青松が冷ややかに浮かび(日色冷青松)、いつしか暮色に染まっていく淵のほとりこそが(薄暮空潭曲)、世俗と離れ静かに己に対峙できる場なのだとおもいます。したがって、あえて香積寺には向かわず傍をよぎることにしたのであって、「過」を訪れる意と解することには首肯できない気がするのです。

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