戦国中山王圓鼎を習う(36)「解(懈)厶(以)詳(誘)道(導)」

「解」:角と刀と牛から構成され、刀で牛角を解く意となります。ここでは同音の「懈」(かい・おこたる)の意で用いられています。旁の「刀」の刃の部分にここが刃であることを示す1画を入れていますが、本来は「刃」ではなく「刀」のままで構いません。しかし、中山国の篆書に2例ある「解」はいずれも「刃」にしたものとなっています。ところが、例えば「則」についてみると、「刀」とするものと「刃」にしたものの2通りを認めることができるのです。ここに中山国篆書の鷹揚性をみることができます。

「厶」(以):2度目となります。耜を表す「厶」(し)の形です。後に「以」「㠯」の形に分かれました。ここでは「以」の意で使われています。中山国の篆書に慣れてくるとこれを1画で書けるようになると思います。

「詳」(誘):言偏の下の部分、中の1画は本来必要ありません。(接写画像にははっきりと写っています) これも中山国篆書の鷹揚性に括られると思います。他には、次回出てくる「舎」なども、同様に本来必要のない1画を入れています。さて、旁の方ですが、「羊」と「牛」が上下に重ねられています。この形は一字として甲骨文にも登場するもので、羊や牛の類の生贄(いけにえ)として扱われているものです。現行の「觪」(しょう・つの)は説文では「觲」(しょう)として篆文が載せられています。これは羊牛類の角を意味する字です。これによって今回のこの字を赤塚忠は「羊」の音を主として考えれば「詳」の字として良いとしています。これを次にくる「道」と合わせ、「誘導」として「誘」の字を通仮(仮借字をあてること)させるようです。拓影では「刃」の縦画がやや傾いていますが、習う際は同円鼎の「剌」(らつ)は方壺の「創」のように垂直にして書いて良いと思います。

「道」(導):白川静「字通」を引用すれば、「首(しゆ)+辵(ちやく)。古文は首と寸とに従い、首を携える形。異族の首を携えて除道を行う意で、導く意。祓除を終えたところを道という」とあります。異族霊を祓うために首を掲げるところから「又・寸」(手)を添える形も使われ、それが「導」の初文となります。ここでは、「導」の意で用い、前字とともに「誘導」として解釈します。字形では「首」の両脇に耳飾りのような飾りがつきます。これは「憂」字と同じです。また、「覆」「會」にも似た飾りを付けています。それに対し、「頁」では左右4点を放射状に並べる飾りにしていることは既に触れてあります。臨書をする際、頭髪の省略形の曲線から、首全形の周囲を巡る様に一気に書くときは(もちろん分けて書いても可)、呼吸を長く筆を立てて書くことが必要になります。

戦国中山王圓鼎を習う(35)「宜(義)夙夜不」

「宜」(義):廟屋を示す「宀」(べん)と俎(そ・まないた)である「且」(そ)からなっているとされていますが、「且」の古い字形は「宀」には従っていないようです。また、まな板とされているものには2段に分けて祭肉(月または夕)が加えられたものがあります。管見ですが、字形を鑑みるに、まな板とするよりも、祭卓に載せられた大きな肉塊か、あるいはそれを収める器であるような気がします。その肉塊を切り分けている形が「俎」です。一方、羊の肉を鋸のようなもので切って供えるのが「義」で、声義が通じています。中山国の篆書の特徴として、字の底部は長い横画を避けて短くするか、省略します。

「夙」:説文の字形は(夕+丮(けき))。「丮」は物を掲げ奉ずる形ですが、「夕」は甲骨文では月の形に作る一方で、金文では肉の形にもみえます。月の形とすれば、早朝に行う祭祀において残月を拝する意ともとれます。「つとに」「はやい」意はそこから了解できます。この字の拓影に不鮮明なものがありますので、接写画像にて習うことをお薦めします。なお、初形にない「女」が加わっている点については、西周中期以降、例えば青銅器「師酉簋」に認めることができます。上部左の部分は両手をあらわす一部が変化したもので、「夕」を挟んだ右の腕にあたる部分と分断したものと思われます。

「夜」:人の正面形に月を表す「夕」を加えた形。月夜に人影が斜めに伸びた様とされています。実際、金文の字形には「大」の部分が斜めに傾いているものがあります。ちなみに、これと似た字に「亦」があります。「亦」は人の正面形の両脇を示す点が2つ添えられているもので、「夜」はその一方を「夕」(月)に入れ替えたものですが、なぜ、「夜」の字形に脇を示す点を一つ残したのか、あるいはその両者の関係については、金文の一部にその一つの点も省いたものもあり判然としません。

「不」:3度目です。既出の2字は上部に横画を1画添えるものと省いたものの2例でした。中山国の3器に残された「不」は全部で26例ありますが、この横画があるものは18例です。一方、春秋期の「王子午鼎」や「蔡侯器」には中央縦画に肥点を入れる例があり、中山国の器銘にも通用体で記された「兆域圖」の「不」には肥点に換えて短い横画が入っていて当時の書体が影響し合ったり、流行が及んでいたことが窺えます。なお、中山国の篆書では中央の交叉してできる逆三角形の部分は小さくすることが基本です。

戦国中山王圓鼎を習う(34)「賃(任)臣宗之」

「賃」(任):「任」(じん)の仮借字。「賃」の「ちん」は慣用音。「任」の甲骨文は人が鍛冶の工具らしきものを背負う形で、あたる、たえる、よくする、になう、もつ、いだく、おう、のせる、にもつ、はこぶもの、つとめ、しごと、任務、責任、まかす、まかされる、任侠、侠気、ほしいまま、あるいは妊と通じて、はらむ等、たくさんの意を持ちます。ここでは「任務」の意と思われます。「貝」の両脚は「壬」の縦画の位置を中心に、開きすぎないように立てて書きます。怱卒な通用体で刻された円壺には人偏と貝の両脚を略した形が使われています。

「臣」:3回目となります。第1画は右遙か上から左下3分の1あたりを目指してやや直線的に書きます。拙臨は丸め過ぎました。

「宗」:2回目です。祭卓の2脚を略した字形は、甲骨文、金文からみられるものです。シンメトリックかつ分間を等しくして書きます。

「之」:5回目です。天上から斬るように降ろし、曲部から筆を釣り上げながら収めていく動きは何度書いても難しいと感じます。

戦国中山王圓鼎を習う(33)「智(知)社禝(稷)之」

「智」:初形は矢(し)+干(かん)+口(さい)。神の前でおこなう誓約のときに用いる聖器である矢、干(盾)、口(祝詞を入れる器)を並べた形です。後に誓約が収められた器「曰」(えつ)がさらに加わりました。ここでは「知」の意で用いています。字形全体が寸胴になることを避けるため、「干」の位置を少し上にあげています。

「社」:祭卓と土に樹を植えている形からなります。神の住む大地としての「社」(やしろ)に聖樹を植えて祀る様です。この字形は説文に古文として扱われています。示偏を強調し、「土」の肥点は小さく収めます。

「禝」:禾偏の「稷」は田の神、農耕の神で、地の神である「社」とあわせた「社稷」(しゃしょく)は国家のことを指すことがあります。この場合は祭卓の示偏となっていますが、その「社稷」のことです。ちなみに、「畟」(しょく)は田形の頭をした神の姿です。(耜の形である厶を頭にした神は「夋」)ところで、旁の下に「女」形があります。「允」の金文に同様の足の部分を「女」にしたものが認められます。それと関連があるか、あるいは足の形「夊」(すい)が変化したものなのか、気になるところです。なお、「田」を頭として用いる場合は上に角を出すことがあります。

「之」:4回目となります。足跡の形「止」と「一」からなります。足が境界から進むことを表しています。「止」は下を弧のようにして書くのに対して、「之」は直線で、左に伸びないように書きます。

戦国中山王圓鼎を習う(32)「右寡人使」

「右」:ここでは「佑」の意で用いています。前の字「左」と合わせた「左右」が「佐佑」(補助)する意となります。

「寡」:登場は3度目となります。最終の縦画はほぼ中心に据えます。

「人」:5回目です。人偏を使う字でも「信」の場合は、子を身ごもった姿である「身」を用います。

「使」:「辶」と「吏」からなりますが、「使」の異体字です。前述したように、行人偏と「止」からなる字は、そのどちらかを略す場合があります。

戦国中山王圓鼎を習う(31)「天德以左」

「天」:4回目となります。第1画は短めに、両脚への分岐点の位置は下げすぎないように書きます。

「德」:彳(てき)と直と心からの構成。「直」は「省」と匿(かく)し隔てるものを表す「乚」(いん)からなります。「心」は初期のものにはなく、後に入りました。声符は悳(とく)。省は目に呪飾を加えて視察することで、諸地を巡行視察するので「彳」を加えています。呪念を伴う行為なので心が加わり、やがて徳性の意を持つようになりました。「乚」の部分は「直」の周囲を包み込むように巡らします。拙臨はやや離れ気味になってしまいました。
中山国篆書の特異ともいえる優れた造形性を備えた字の一つです。

「厶」(以・㠯):「厶」(し)は農耕で用いる耜(すき)の形。上部を伸びやかにして下部に重心を置きます。

「左」:「豸」(ち)と声符「差」(さ)からなり、「左」の仮借となります。「豸」は獣の形。「差」は「禾」と「左」(「右」の場合もある)からなり、神へ収穫した穀物を差(すす)めて祀る意です。この字の次にある「右」と合わせて「左右」となり補佐をする意になります。上部をゆったりさせ、逆に下部を緊密にして逆三角形の構成をとっています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(30)「率仁敬訓(順)」

「率」:形としては「䢦」となっています。説文にある字で「先導するなり」とある他、「従う」や「ことごとく」などの意もあります。活字「率」の字形は糸束をねじって絞る形で、周囲の4点は絞り出された水を表しています。横画が2本ありますが、これは絞るために糸束の上下に入れた横棒ですが、金文には横棒がないものが多いようです。しんにょうの「止」の2画が接するところが旁の中心です。

「仁」:「二」をお尻の下に置く形は説文に古文として出てきます。「仁」が西周金文にて触れられることはなく、戦国中山国で登場する概念として貴重な意味を持つと言われています。4本の横画を中央に集め、上下に広く空間をとります。

「敬」:偏は古代中国の西北地方にいた羊を飼う遊牧民族「羌」の側に祝詞を収める器が置かれた形。旁はそれを撃っていましめるための木の枝のようなものです。羊の角を長く、頭を小さくまとめます。

「訓」(順):前出の字です。「川」と「心」からなる「訓」とされる字です。「順」の意を持ちます。心の横画はあまり下に膨らまないようにして書きます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(29)「克卑亡不」

「克」:「克」と「又」から構成されていますが、「克」の意となります。前回に続いての登場です。「克」は木を彫り刻む器の形で、上部は把手、下は曲刀の形。左に垂れ下がった部分が曲刀の刃にあたります。

「卑」(俾):「卑」はひしゃくの柄を持つ形です。左側を揃えて書き、柄が右下に伸びる様を強調します。前回からの続きとして、「克順克俾」(よく順にしてよくしたがひ)と読みます。李学勤は『詩経』皇矣篇にある「克順克比」を引用したものが『礼記』楽記篇に「克順克俾」となっていることを指摘しています。漢代魯の學者であった毛亨(もうこう)らが伝えた詩経の解説書「毛伝」には「慈和にして遍(あまね)く服するを順といひ、善を択(えら)んで従ふを比といふ」とあります。

「亡」(無):屈葬による残骨の形です。前回は辶が入った形でした。死者の残骨の形としては他にも「乏」、「巟」(こう、頭髪の存する象)などがあります。「臣」と同様に下部に重心を置いて上部の伸びやかさを強調します。

「不」:2度目となります。花のがくふの膨らみ部分を極端に小さくして下方へのベクトルを際立たせます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(28)「臣貯克訓」

「臣」:登場は2回目です。別の中山三器の円壺では概して怱卒な結体となっていますが、その中の「臣」だけは中央の眼球を貫く形になっています。

「貯」:この字の特定については諸説あります。李学勤は「周」の省形と「貝」からなる「賙」(しゅう)で、中山国の相邦(職名で相国ともいう)であった司馬憙のことであるとしています。白川静もそれに従っていますが、恐れながら、諸家の説の経緯を参照した上で、私は少々異なる見解を持っています。これについては2017年9月16日、河北省石家荘市における中山国文化研究会において発表したパワーポイントによる資料を既にフェイスブックならびにホームページに出してありますので、ご興味のある方はご覧ください。

「克」:字形は「克」と「又」からなっており、赤塚忠は「克」の意を持つことは間違いなく、「剋」の異体字の可能性があるとしています。「又」を加えるものには他に「祖」の例があります。

「訓」(順):この字も活字にはないようです。音符の「川」と意符の「心」からなります。戦国に至ると「言」に従うものと「心」に従う2系に分かれ、郭店楚簡にはその両方がみられます。諸家は「訓」の異体字としてしているようです。「心」を構成素に加えたり変更したりする例としては、他に「労」があります。「訓」は古くは「順」(したがう)の意で用いていました。他の同字とくらべるとやや脚が短いので修正を施しています。  

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(27)「邦又(有)厥忠」

「邦」:2度目です。声符である「丰」(ほう)は神木の苗木を植えて育てる象や実った禾(いね)などの象。旁は「邑」で、国を建てることをいいます。中山篆には「丰」の下に地面を示す字形もあります。偏の肥点は中央より若干上に、旁の折り返す部分の位置にほぼ揃えて書きます。

「又」:右手の形を金文では「右」や「有」、「佑」などの意で用います。「有」は甲骨では「㞢」や「又」の形になりますが、金文では「肉」(月)を添えるものもあります。中山篆では「有」の基本構造は「又」、渦巻きの部分は飾りとみて良いと思います。一方、中山篆の「右」は「又」と「口」(さい)からなります。

「氒」(厥):「氒」(けつ)は甲骨と金文で「氒(そ)の(徳)は…」などのように用い、文献では「厥」の字をあてます。このように諸家はこの字を「氒」(けつ)の形としていますが、この活字体の形は実際の形を反映していません。同音の「夬」(けつ、ゆがけ)との関係も気になるところです。

「忠」:中(ちゆう)が声符で、説文に「慎(つつし)むなり」とあって、心を尽くすことをいいます。「心」の左右に広げる画を褶曲させるところが難しいところです。