戦国中山王圓鼎を習う(56)「天其有刑」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「天」:6回目。両腕の幅が上部の横画よりも若干長くして書きます。

「其」:7回目です。この「其」は実際には脚部が右に寄っていますが、バランスが良くないので中心が揃うよう修正して書きました。

「又」(有):拓では中央に肥点があるように見えます。しかし、これはその右にまで伸びている器面の傷みの一部であって、填墨の仕方によって肥点に見えてしまっているに過ぎません。「又」は右手の形で、甲骨文では「有・祐(佑)」の意で用います。渦紋がつくのは、装飾的増画とも考えられますが、古璽体の「有」では「又」に一画加えた「寸」と同形となっており、その一画を渦紋にしたものと考えることもできます。話がずれますが、「又」を「有」として用いる場合、甲骨文ではこれと別の一系である「㞢」の字形があります。下の横画は「王」のような鉞の曲刃かと見える字例もあったり、中央が「工」になる字例もあるのですが、これについての説解がほとんど見当たらず、わずかに白川静[説文新義4]p50に「卜文には別に㞢字があり、有の義に用いる。「王受又〻」をまた「受㞢又」に作ることからいえば、又にまた祐の義あり、㞢又の二字は聲義近くして通用するも、なお用義上の區別がある。その字源を異にするものであろう。…」と触れられている程度で、どのようなものの姿なのかが判然としません。解明を期待したい字のひとつです。

「刑」:形状からすると、の構造をとっていますが、「刑」の意。「井」(けい)は首かせの形ですが、「型」の初文でもあります。なお、中山三器の円壺には旁が「犬」ではなく「刂」(刀)のものも出てきます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(55)「於虖攸哉」

於虖、攸(悠)哉。天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以(憂)勞邦家。含(今)(吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封彊、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦彊を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。》

「於」:8回目の登場です。[字通]には「〔説文〕四上に烏の古文としてこの字形を出しているが、字形についての説明はない。金文の字形は、烏の羽を解いて縄にかけわたした形。烏も死烏を懸けた形で、いずれも鳥害を避けるためのもの。その鳥追いの声を感動詞に用いた」とあります。烏の死骸とそれを架けている人からなります。中山国の篆書では、烏というよりも尾長鶏の様な姿に美化されています。

「虖」(乎):これは5回目となります。拓によっては渦紋を繋ぐ横画がはっきり出ていないものがありますから注意が必要です。「乎」の初形は板の上に揺らすとカタカタと音を鳴らす遊舌(ゆうぜつ)がついた鳴子板の形です。左右の渦紋はその遊舌にあたるかもしれませんし、単なる中山特有の装飾的増画ともいえます。

「攸」(悠):ここでは「悠」を「思う」意で用いています。[字通]には、「人+水+攴(ぼく)。水は水滴の形に作る。人の背後に水をかけ、これを滌(あら)う意で、身を清めること、みそぎをいう」とあり、字形に木の枝でものを撃つ「攴」が含まれていることから、単に水をかけ流す程度のみそぎではないことが想像できます。上下2つの水滴の位置は縦に揃えるのではなく、それぞれの分間の中央に配した様に思えます。

」(哉):3回目となります。「才」は祝詞を収める器をつけた標木で、「戈」と共に構成される「」(さい)の「十」の部分が「才」ですが、西周金文には「禾」(いね)の様な形の例もあり、「戈」とともに祭壇に供えるものと思われます。なお、ここでの字形「」は戈に糸飾りをつけたもののようです。「哉」はすでに祝詞を入れる器が含まれている「」に、あらためてその器を付け加えている字となります。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(54)「是克行之」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施非恁與忠其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ吾が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。

「是」:「早」が匙(さじ)、下の「止」(し)の部分は声符と同時に匙の柄の部分を表わすと思われます。「是」について、[字通]は「匙(さじ)の形で、匙(し)の初文。のち是非の意や代名詞などに用いられ、その原義を示す字として匙が作られた。匙は是の形声字である」としています。「早」の部分は縦方向に詰め、「止」を伸びやかにして書きます。

「尅」(克):3回目です。[字通]ではこの字を「皮」の字例に載せているのですが、白川静は[続 金文集]で「克」としていますので、おそらくそれは誤植だと思われます。ただ、確かに「皮」は曲刀を以て皮を剥ぐ様であり、字形を構成する要素は共通しているように思えます。しかしながら、中山三器では「皮」の字として上部が「廿」形に入れ替わった「」が登場しますので、「皮」ではなく「克」の異体字として良いと思います。曲刀の刃の部分にあたる左に垂れる画は、他の例に合わせてあまり斜めにしない方が良い気がします。

「行」:3回目の登場です。やや下の部分に対して上の幅が広くなっているようなので、修正して書いてみました。

「之」:8回目です。最後の横画の始筆は左の縦画の位置に揃えて書きます。

宇都宮東書道篆刻愛好会の勉強会が95回目を迎えます。

古典を師とする考え方に基づき、品格を養うことを目標にした勉強会です。書だけではなく、漢字の成り立ちや篆刻の表現にまで視野を広げられるよう、書くこと、鑑ること、知ること、感じることに配慮することを心掛けながら共に学んでいます。ここに勉強会で用いる資料をご紹介いたします。

来たる8月7日(日)で95回目を迎えることになりました。

戦国中山王圓鼎を習う(53)「隹(唯)吾老貯」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施非恁與忠其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「隹」(唯):3字前に出てきたものは「誰」として用いられていましたが、これは「唯」の意で用いる4つ目の字例です。羽を横切る弧が他の例よりも長めになっているようです。

」(吾):2回目となります。「吾」の仮借字として用いられています。虎頭の部分をコンパクトに収め、「魚」を伸びやかに書きます。下の部分は「火」のように見えますが、臀鰭(しりびれ)や尾鰭(おびれ)などの象です。

「老」:長髪の人の側身形である「耂」(おいがしら)と人が死して伏す形(または倒形)で「化」の初文である「匕」(か)からなります。「耂」を含む字としては既に「考」が出ています。

「貯」:中山国の相であった人物の名として出てきます。強国に囲まれ生き残りに腐心していた中山国の王がその命運を托した人物ですが、やがて背臣となります。それを密かに懼れていた王が釘をさすように銘に刻んで鋳造したのがこの円壺です。この字の特定については諸説あります。諸賢はこれを「賙」(しゅう)や「賈」(か)などの説を出してきましたが、過日、浅学を懼れず私見を認めました。ご興味のあるかたはHPのメニューから「中山篆書法篆刻学術報告交流会」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

写経入門講座がいよいよ明日開催です。

書道愛好者をはじめとして、様々な藝術文化愛好者の間ですすむ高齢化は、近年特に深刻な問題になってきています。その影響はそれぞれの会員諸氏によって組織される関係団体の会員減やそれに伴った財政逼迫という事態にまで及んでいます。これに危機感を募らせた書道関係者の有志が打開のための様々な策を提案。その一つが「写経入門講座」です。志を共感する輪は次第にひろがっていき、栃木県書道連盟の正副会長、事務局長をはじめとする多くの書道関係者がこれに協力していだだけることとなりました。過日、これらの動きを下野新聞が大きく取り上げたことにより、連日のコロナ感染者急増にもかかわらず60名をこえる参加希望が寄せられました。主催する栃木県写経倶楽部では、予定していた会議室を急遽変更し、収容者数が2倍以上となる会場を用意し、少しでも感染を防止し、参加され方々の不安を払拭することといたしました。

明日(7/31)の講座は、受講される方が、心を癒やし、写経に打ち込むひとときの楽しさ面白さといった魅力を体験するためのさまざまな工夫を用意してお待ちしています。なお、いずれこの活動が軌道に乗った暁には、宗派を超えた寺院巡りによる写経の愛好活動にまで広げられたら良いとも考えております。

当日、お配りする揮毫例(大浦星齋筆)です。今後の継続する講座では書者を換えていろいろな書例を提供していきたいと考えています。
奈良天平期の写経として知られる「魚養経」の断簡です。当日の講習でご紹介いたします。(観星楼書道篆刻研究院蔵)

戦国中山王圓鼎を習う(52)「其隹(誰)能之、其隹(誰)能之」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施非恁與忠其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「其」:6回目になります。「其誰能之」が繰り返されるところです。繰り返しの記号である重文号「゠」は右下に小さめに添えて書きます。

「隹」:「隹」字として4回目です。これまでは「唯」の意で使われていましたが、今回は「誰」の通仮字です。羽を表す横画が分間等しく水平に整うように書きます。中山国の篆書では、右下が空いている場合は重文号を上に寄せて書きます。

「能」:[説文]には熊に似た獣の象としていますが、[字通]では「水中の昆虫の形に象る」としています。金文の形は左右それぞれの部分がつながっていますが、これは別個のものとして配置しています。2つの肥点は装飾画です。

「之」:7回目です。左の2画は、中山三器にみられる45例を通観すると、ほぼ真上から降ろすようにして書くことが多い様です。

戦国中山王圓鼎を習う(51)「非恁與忠」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「非」:否定の意で用いる字ですが、「不」よりも重いものです。[説文]では飛翔する鳥の羽としていますが、古代の中国では、「非余」あるいは「比余」とは櫛のことを指し、字形は左右に歯のある櫛の形です。上部を長く伸ばしシンメトリックにまとめます。

「恁」:諸賢はこの字に「恁」を充てています。しかし厳密にいうと、旁上部は「壬」とは構造が異なります。既に円鼎にある「任」字については触れています。方壺では「賃」の構造を持つ「」を「任」の仮借字としており、その違いを確認できます。また、この字について古文字研究家の于豪亮(1927—1982 うごうりょう)は「信」(まこと)の異体字ではないかとしています。しかしながら、この説は方壺に「信」とする「」がありますので「信」の意を持つのは良いとしても異体字とする点については無理があるようです。

「與」:「与」の部分は象牙のようなものを2つ組み合わせたものとされています。これに4手が添えられた形が「與」です。下の2手の間にある「二」の部分は、「朕」の字形にもみられるものですが、春秋中期の青銅器、鎛(斉侯鎛)の「與」に(さい)に従う字例があります。

「忠」:2回目です。今回のものは、右に伸びる吹き流しがあるため「中」を少し左に寄せたきらいがありますが、他の字例の通り、縦画を「心」の中心に合わせて書く方が良いと思います。

戦国中山王圓鼎を習う(50)「而難行施」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施。非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと。此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「而」:3回目です。中山の3器には13の字例があります。その中には最上部に1画増やすものとそうでないものとの2つのパターンが見られ、この例のように増画するものは4例となります。中央の2脚は付け根で引き締め、伸びやかで直線的に書きます。

「難」:「」(かん)と「隹」(すい)からなります。「」は「難」の字解の中で「金文の字形によると鏑矢(かぶらや)の形と火に従っており、火矢の形かとみられ、火矢を以て隹(鳥)をとる法を示す字かと思われる」としていますが、「堇」(きん)の字解では「字はに従う。は焚巫(ふんぷ・巫女を燓くこと)の象」としていて断定には至っていないようです。この字の拓影を見ると、やや膨満ぎみなので少し幅を抑えながら書くことをおすすめします。

「行」:2度目です。人や物が行き交う交差点の形です。左右対称になるように注意して書きます。

「施」:やはり2度目です。前述したように「旃」の字をあてている研究者もいますが、字形は「施」(せ・し・い)であり、同一の声系である「也」の意で使われています。逆に「施」の意で用いているものが「阤」で、方壺に出てくる字です。なお、[字通」ではこれを「旃」として扱い、「施」の金文体として「阤」字を扱っているのですが、ここにある字形を採用すべきと考えます。さて、前回のものは上下の縦画の位置をほぼ揃えていましたが、7例あるうち、揃えるか近いものが3例、4例はこの例の様に少し右にずらして書いています。できるだけ縦画を中心線上に揃えて書く方が美しい姿になると思います。

戦国中山王圓鼎を習う(49)「智此易言」

社禝其庶虖。厥業才(在)祗。寡人聞之。事少(小子)女長、事愚女智。此易言、而難行施。非恁與忠、其隹能之。其隹能之。隹(吾)老貯(賙)、是克行之。》

社稷 其れ庶(ちか)き虖(か)。厥(そ)の業は祗(つつ)しむに在り。寡人之(これ)を聞けり。少(小子)に事(つか)ふること長の如く、愚に事ふること智の如しと此れ言ひ易くして行ひ難きなり。信と忠とに非ずんば、其れ誰か之を能くせむ。其れ誰か之を能くせむ。唯だ□(吾)が老貯のみ、是れ克く之を行ふ。》

「智」:4回目です。「智」の初形である甲骨文の構成素「矢」、「」(さい)、「干」(かん)はいずれも祭祀に用いる聖器ですが、現在の活字には「干」がありません。しかし、馬王堆帛書や張家山漢簡など、漢時代までは入っていたようです。これが魏になって『三体石経』では省かれていることが認められます。「矢」の尖頭を「干」より少し上に出すようにして書きます。

「此」:「此」はこの一字のみで、声符「止」(し)と「匕」(ひ)からなります。ただ、字形がどのような状況を表しているのか、よくわからない字です。「匕」は普通、右向きの人、さじ(匙)、曲刀の場合が考えられますが、[字通]では「牝牡(ひんぼ・めすおす)の牝(ひん)の初文。此は雌の初文。此に細小なるものの意がある。之と同声で、代名詞の近称として用いる」、さらに「牝牡の字形は匕・土の形で示され、牛羊の旁(つくり)に加える。それぞれ牲器(性器)の部分の象形である」としています。残念ながら、不肖ゆえ、この説明では直ちに氷解に至りません。「止」を「匕」の凹みに納める結構は見事に感じます。

「易」:「易」は2通りの形があって、他の一つはこれに上下逆転したものを横に並べるものです。[字通]によれば、「日+勿(ふつ)。日は珠玉の形。勿はその玉光。玉光を以て魂振りを行う。玉を台上におく形は昜(よう)で、陽と声義が近い。下部は勿の形。玉による魂振りをいう。]とあります。右肩にある小さな部分が「日」のようです。

「言」:これも[字通]を引用すると「辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器の(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった。白川漢字学の核心の一部ともいえる魅力ある説解です。「言」は、それを含む中山国の字例として、「訛」「訴」「語」「誓」「誘」「請」「許」「詻」の他、通仮字として「作」「信」「恪」「専・傳」「貽」があり、比較的頻出するものの一つです。