《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難。人才彷。於虖之。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字
《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、越を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちて之を併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ。吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。》
○「孫々」:「孫」は「子」と「系」とならなる。[字通]に「系」は組紐のような呪飾としていますが、結び繋ぐ義を含むと思われます。「孫」が登場するのは中山王円鼎ではここだけです。
○「永」:水脈の形とされ、「永」が合流、「」は「永」の反文で分流とされているのですが、甲骨文をみると両字は区別なく使われており、かつ、「永」の形には「彳」(てき)と「人」からなる系統があるようにも思えます。事実、「道」の異体字とされている「」には「永」と同形のものが甲骨文にあり、その一方で、「道」には甲骨文とされるものがありません。中山篆の「永」は「彳」の姿が留められています。
○「定」:「宀」(べん)と「正」からなります。中山王円鼎ではこの1例のみです。
○「保」:[字通]によれば「人+子+褓(むつき)をかけた形。金文の字形はときにの形に作り、上になお玉を加える。玉は魂振り、褓も霊を包むものとして加えたもので、受霊・魂振りの呪具。生まれた子の儀礼を示す字である。」とあります。中山篆のこの字形は説文古文にあります。「俘」と似ていますが、「子」の両脇の褓(むつき)の有無に違いがあります。