戦国中山王圓鼎を習う(111)「在旁於乎」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難才彷。於虖念之哉。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「才」(在):3回目です。中山王円鼎では「在」の意で使用する3例すべてが「才」の形ですが、同方壺の場合は「在」の形が2例(第一面と第三面)、「才」の形が1例(最後の第四面)と統一されていません。

○「彷」(旁):声符が「方」で「旁」に通じここでは「かたわら」の意となります。

○「於」:10回目となります。この「於」は他の例と比較すると、「烏」の足の部分が若干異なっています。

○「虖」(乎):7回目です。