戦国中山王圓鼎を習う(99)「人其庸々之」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年覆呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而驕。毋衆而囂。吝邦難。仇人才彷。於虖念之哉。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、越を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちて之を併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ。吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「人」:11回目です。縦画がそのまま行の中心になります。

○「其」:重文を含めると14回目となります。箕の外枠を左から右へ一筆で書く方法はシンメトリー性を損ないやすいので十分な配慮が必要になります。左右2回に分けて書く方が無難ではあります。

○「庸々」:「庸」の字は3回目です。「庸々」は「凡庸で平凡な人々」をさすこともありますが、「庸」には「用いる」意があり、ここでは「大いに用いる」という意になります。「庸」の字形を見ると下の部分が「用」となっており、それを繰り返して「庸用」とするユニークな発想ですが、これはすでに(86)、(91)の「寡々」を「寡人」としている手法と同じです。なお、「用」の字形に関連したものとして「啇」のように下に構成素が加わるとその下に肥点を入れるのですが、「用・甫・帝」のように単独の場合には肥点を入れないという特徴があります。これは相邦の名である「貯」字の隷定問題の一つの傍証となっています。

○「之」:重文を含めて21回目です。