習作「刻龍鐫鳳」 (明 甘暘『印章集説』)

「刻龍鐫鳳」は古色や奇抜な刀法に頼らず素直な表現を心掛けた習作です。

明の甘暘(かんよう)は秦漢の古印の蒐集家であり、『集古印正』(印譜)、『印章集説』などで知られる篆刻家。「刻龍鐫鳳」はその『印章集説』から取りました。

古銅印譜『集古印正』は、実業家横田実氏が蒐集した膨大な古銅印譜コレクションを、氏の没後に故小林斗盦先生が整理した上で東京国立博物館に寄贈したものの中の一つで、特に価値のあるものと聞いています。この『集古印正』はもともとは明治時代の官僚であり政治家であった郷純造(齋号:松石山房)の所蔵であったものですが、日本印章学の基礎を築いた明治の篆刻家中井敬所は、他には三井聴氷閣(現 三井記念美術館)に1本あるのみであるといっているほどの希少なものです。なお、東京国立博物館のホームページには『集古印譜』となっています。甘暘の『集古印正』は題箋、序首、自序を『集古印正』としながら、書柱、凡例、各巻冒頭部は『集古印譜』としています。ただ、『集古印譜』というと所謂一般名詞であって、原鈐本の現存する最古のものとして知られる顧従徳(明の収蔵家)の『集古印譜』范大澈(同じく明の収蔵家)のものがあり、『甘氏集古印譜』と区別して称することがあるようです。

閑話休題。「刻龍鐫鳳」は『印章集説』の「印之所貴者文,文之不正,雖刻龍鐫鳳,無為貴奇。時之作者,不究心於篆而工意於刀,惑也。」から取ったもの。

鳳は説文に凡に従うものに並べて、朋に従う字形も載せています。白川静先生によれば「鳳(biuAm)、鵬(bAng)は声近く、卜文の字形によって考えると、もと同源の字である」とのこと。朋の持つベクトルと、他の3字のものとを勘案し、ここではこの朋を鳳として刻すこととしました。

この句が意味するところは、「龍を刻し鳳を鐫(きざ)む。篆刻の刻線は、龍鳳大空を舞うが如く生動にして気を放つものでなければいけない」と解釈。ただ、その気はひけらかすものではなく、静かな沈潜から醸し出すものでなければいけないのだろう、と思います。

刻龍鐫鳳
55㎜×55㎜
《甘氏集古印正》巻首 [東京国立博物館蔵]  画像は文化遺産オンラインより

 

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