《祀三公山碑》に関して追加投稿です。

1月3日に投稿した《祀三公山碑》に関して、多くの方から関心を寄せていただきましたので、一行目行尾の「後、□惟」の□について、思い出したことを少し補足します。

この前後の碑文は、「…承饑衰之後、□惟三公御語山…」

大まかな意味は(この地が干魃による饑饉を承けて衰頽した後、馮氏は当地の奥地にある三公御語山の荒廃を深く愁い、かつてそこに祀っていた雨の神を別の山に召霊して祀り、降雨をもたらした。)となるであろうか。(拙訳)

この □ を識者は、①恭  ②敬  ③深 などとしていているが断定には至っていない。そこで、

(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)

(2)上海図書館蔵本(熹字不損本)

(3)家蔵本

の三種をもとに総合的に検証してみた。

(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)

おわかりの通り、問題の字に収蔵印が鈐印してある。残念ながら、これでは字形を確かめるのに支障が生じてしまう。まさにこれは拓の真価を貶める行為で不見識の誹りを免れない。

飲氷室蔵本「深」
収蔵印「梁啓超」を字画の上に鈐すのは不見識と言わざるをえない。果たしてこの印は本人が鈐印したものであろうか。

(2)上海図書館蔵本(熹字不損)

拓調は明瞭である。しかし、この上海図書館蔵本は旧拓に見せかけ字画を蘇らせるための塡墨の跡が散見されるので注意が必要である。

上海図書館蔵本「深」
この拓は拓調が明瞭であるが塡墨が散見されるもので注意が必要。

(3)家蔵本

家蔵本は塡墨や描画の跡は認められないが、墨が厚く、点画に入り込んで潰している可能性も考慮する必要がある。

家蔵本「深」

[結論] 

まず、残された線条を基とすると、「恭」と「敬」はありえない。それらの字形にあてはまる痕跡が見当たらないのである。
※(上海図書館蔵本と家蔵本によれば「恭」と見なせなくもなく、千字文「恭惟鞠養」(うやうやしく鞠養をおもう)などの用例もある。しかし、飲氷室蔵本によってその可能性は低いとみる)恐らくは、両字共に※(特に「敬」字については)文意に沿う字を優先して充てがった嫌いがある。偏にあたると推定される部分は「さんずい」「立心偏」「手偏」「やまいだれ」などが考えられるがどれも確実なものではない。旁と推定される部分は「穼(しん)」を推測させる。断定は難しいが、嵩山少室石闕銘などとも比較した上で、私はこれを「深」と推定したい。三種の拓のうち、飲氷室蔵本の採拓は繊細で墨を敲き過ぎず「さんずい」の結構を最も良くとどめている。「深惟」の用語は、《戰國策·韓策一》や《史記·太史公自序》に求めることができる。深く憂慮する意であると思う。
※( )の記述は最初の投稿後に加えた補筆

 

上海図書館蔵本(上海書画出版社刊)に添えたメモ。
塡墨が散見される拓なので注意が必要。

家蔵《封龍山頌拓》延熹7年(164年)を紹介いたします。

《祀三公山碑拓》に続いて、家蔵拓から元氏5碑の一つ《封龍山頌》原拓を紹介します。

二玄社刊『書跡名品叢刊』の松井如流の解説の中に、楊守敬は著書『激素飛清閣平碑記』に「雄偉勁健」(雄々しく立派で力強い様)と評し、中村不折は「…実に気魄の雄大なものである。其の上、此の頃のものとしては古雅の点に於て、他の碑を圧して居る。…之を以て禮器碑の厳格なるに対し、却って此の碑の廓然たる自然味を愛するものが多いのである。亦漢石中の神品というべきである」と讃嘆したとある。確かに、古穆悠然として滋味溢れる風姿には、書人を惹きつけてやまない魅力がある。

家蔵拓は、13行目の「穡民用章」の「章」が欠損しているものの、15行目(松井如流氏は14行と誤っている)の「韓林」の「韓」を存す亜旧拓である。なお、この原石は既に失われているようだ。そのあたりの消息を上海書畫出版社刊「中國碑帖名品 封龍山頌」では次のように記している。

「道光二十七年(一八四七)十一月,元氏知县刘宝楠发现于河北元氏西北四十五里的王村山下,即命工移置城中文清书院。运工嫌其沉重,乃截裂为二,后虽经嵌合,但裂纹清晰可见。此碑民国时尚在文清书院,今又佚。」

封龍山頌(全景)
封龍山頌(部分1)
封龍山頌(部分2)