戦国中山王方壺を習う(109)

「可(長)子之   (隹れ義は)長かるべし。子の(子)、

「可」:3回目です。

」(長):中山篆では同じ「長」でも意味の違いを補足する別の構成素を加え書き分けています。この方壺では少長の意で使うときに「」、長久の意で使うときは「」にしています。なお、「」の「長」の部分には屍体である「匕」(カ)を入れていますが、「」の場合は省略しています。長久の「」は中山諸器でこれが唯一の用例となります。

「子」:7回目です。

「之」:15回目です。

戦国中山王方壺を習う(108)

(附)民隹宜(義)   (隹れ徳は)民を附さしめ、隹れ義は

」(附):2回目です。

「民」:3回目です。円壺には目の内部に2点を加えたり肥点を逆V字形にした異体字例があります。目の内部に中山篆の「母」のように2点加えるのは三国時代魏の三体石経にも共通するものです。

「隹」:7回目です。

「宜」(義):3回目です。両脚尾が短い拓がありますが、線の彫りが浅いためで接写画像では他の字と同様に延伸が確認できます。なお、円壺では高く盛られた肉(肉月)が一つのみの簡略体となっています。

戦国中山王方壺を習う(107)

「嗣王隹悳   嗣王を(戒む)。隹れ德

 

「嗣」:3回目です。円壺にはこの字の「冊」の部分を両手「共」に替えた略体があります。

「王」:6回目です。

「隹」:6回目です。

「悳」(德):2回目です。

戦国中山王方壺を習う(106)

(簡)(策)ム(以)戒   (之れを)簡策に(載せ)、以て(嗣王を)戒む。

」(簡):「竹」と「外」とからなりますが、[説文解字注]では「閒」の古文として「門」と「外」からなる字例を挙げられていて、特に「卜」(ボク)の部分は中山方壺のこの字形に近いものです。更に戦国期《曾姫無卹壺》(ソキムジュツコ)に「門・夕・刀」からなる例があります。「刀」はおそらく「卜」の譌変であって、結局この「」は「簡」に通仮すると判断できます。ちなみに、[説文解字注]の古文に関して、「外」の部分を「人・卜」としている版本があり、《字通》《字統》などをはじめ多くの識者が採用しています。しかし、《經韵樓藏原版》には「人+卜」ではなく「夕+卜」形となっていることがはっきりと確認できます。これはいわゆる翻刻本とされる《保息局本》との間には異同があることの一例となります。

」(策):2回目です。「簡策」とは竹簡などの書物のことを指します。

「ム」(以):13回目です。

「戒」:「戈」(カ)と両手を表す「廾」(キョウ)とからなる字です。左右の手の間に「二」を挟むのは中山篆ではほぼ定型化しており「朕・棄・與・彝」などの字で見ることができます。

戦国中山王方壺を習う(105)

「生福(載)之   福を生む、と。之れを(簡策に)載せ

「生」:2回目です。

「福」:声符の「畐」(フク)は「みちる」意をもちます。甲骨文・金文ともに下部の膨らみを強調した器形で、酒樽の類と思われます。

」(載):2回目です。

「之」:14回目です。

戦国中山王方壺を習う(104)

「生禍隹(順)   (隹れ逆は)禍を生み、隹れ順は

「生」:土から草が生え出ずる様を表した字です。

「禍」:声符の「咼」(カ)は残骨「冎」(カ)と祝禱の器からなり、屍体に留まる霊による呪詛の形。「示」は神事に用いる祭卓です。中山諸器では唯一の字例となります。残骨「冎」になお肉が残っている様が「骨」で、他にも残骨を表す字に「死」の「歹」(ガツ)、頭骨に髪が残った「列」の「」(レツ)、屈葬の「亡」に関連したものでは、残骨の表現に違いがある「乏」や髪を残した「巟」(コウ)があります。

「隹」:5回目です。

」(順):5回目です。

戦国中山王方壺を習う(103)

(後)嗣隹逆   後嗣に(告ぐ)、隹れ逆

」(後):「後」の繁体で、進退を表す「辵」(チャク)、祭祀の呪具で糸束を捻って結んだ「幺」(ヨウ)、祭器を供え祝詞を奏して神霊が降りる象である「各」とからなります。ちなみに「幺」を盛器である「 」の略体「日」に替えたものは「退」で、神に供えたものをさげる意をもちます。

「嗣」:2回目です。

「隹」:4回目です。

「逆」:3回目です。

戦国中山王方壺を習う(102)

々 (祗々)翼(翼々)(昭)告」   祗々翼々として昭かに(後嗣に)告ぐ

」(祗):この字は「甹」(ヘイ・テイ)に含まれる祭礼の儀で用いる器が上下逆さまに重ねた形で、おそらく甑(こしき)の類かと思われます。つまり、「甹」では同形の礼器を2つ横に並べるのに対し、上下に重ねた、配置を異にする関係となります。そのことは、西周晩期の史牆盤などで確認することができます。また、春秋期の蔡侯器では上下かつ互いに逆さまに重ねた「由」形の礼器の間に、両手または「君」に含む神杖が加えられていて、中山篆の「」の様な構造はそれらの譌変を経たものと推測できます。下部の「而」も本来の「而」ではないことを示すかのように、4本の脚尾に横画を添えています。なお、字形では「祗」の構成素とは結びつかず、「テイ」の音通によって後に「つつしむ」意の「祗」が充てられたと考えられます。

「翼」:「羽」と「異」とからなります。「羽」は左右反転していますが、明らかに羽根の形で、対称性を狙った意匠。「異」は異形の神の姿で「イ・ヨク」の声をもちます。上の「祗」と同様に重文記号を補うべきと思われます。「祗々」と「翼々」のどちらも「つつしむ」で「祗々翼々」は「つつしみ深い」となります。中山諸器では唯一の字例です。

卲(昭):2回目です。

「告」:木の省形と祝禱の器「」(サイ)とからなる字です。祝禱の器を高い標木につけたものが「才」です。中山篆では「」を「者」の「曰」と同じようにすることがあり、他には「古」と「否」でみることができます。

 

戦国中山王方壺を習う(101)

「 而旹(時)觀焉」   時に焉を観ん。

「而」:5回目です。

「旹」(時):「之」と「日」に従う形。「時」の「寺」は「之」と「寸」からなる字で、ある状態を維持する意をもち、時節に関するときに「時」となります。中山篆のこの字は[説文]古文と同形。中山諸器では唯一の字例です。

「觀」:声符である「雚」(カン)は毛角がある鳥の形で、鳥占(とりうら)を行う際に用いました。「觀」は鳥占によって神意を察することであろうと白川静氏は述べています。中山諸器で、唯一の字例です。

「焉」:2回目です。ここでは「ここに」と読みます。

戦国中山王方壺を習う(100)

[蔡](察)之于壺   之を壺に(明)察して

」[蔡](察):2回目です。ここではこの字形を、祟りをもたらす霊獣の姿「蔡・祟」の尾が簡略化したものと捉えます。「明察之于壺」は方壺銘冒頭の「昭察皇功」の表現に通じるもので、「察」はつまびらかにする意となります。なお、この字については諸説あり、「犮」(ハツ)の省形として跋文の「跋」に通仮させ、最後にことの顛末を記し留める意とする説などもあります。詳しくは(13)の解説をご参照下さい。

「之」:13回目です。

「于」:2回目です。

「壺」:2回目です。