戦国中山王圓鼎を習う(87)「懼其忽然」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「懼」:「心」と「瞿」(く)からなる字です。「瞿」は鳥が恐れおののいて両目を繁くきょろきょろさせ、周囲を見張る様です。中山三器では「目」の形に5つ、また三器以外の『兆域図』にも別の2パターンがあり、合わせて7通りの表現がありますが(ただし「馬」の頭部に使う「目」形は除く)、「懼」のパターンは唯一この字だけです。両目を束ねた部分が「庸」に含まれる「午」の形と近似していますが、繋げたり束ねたりする字例は他にはなくこの由来は不明です。ただ、春秋晩期の蔡侯匜に出てくる「單」の字形がこの「懼」に大きな影響を与えているように思えます。そのことは次回の(88)「憚」のところで説明したいと思います。なお、表現の変化という点では特に、「」(睿の異体字)において、2つの「目」を形を変えて表現しているところなどに中山篆の自由な装飾的意匠を感じます。また、「心」を含む字はこの後に出てくる「忽」のように偏旁ではなくすべて下に配した構成となります。(方壺に出てくる「忨」(がん)はやや偏旁構成に近い)

 

○「其」:12回目です。横画がほぼ上下中央の位置にするとまとまります。

○「忽」:声符は「」(ふつ)です。この「」を白川静は弓の弦に飾りがついたものか、あるいは弦が断裂したもの、または耜で土を跳ね上げる様などと推定しています。弓は邪悪を祓うときに祭器として用いますが、弦を断ずることから「禁止」の意が付加します。

○「然」:生け贄としての犬肉である「肰」(ぜん・ねん)と「火」とからなる字で、犬肉を焼く様をあらわしています。甲骨文には犬肉を焼いて天神を祀ることが記録されています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(86)「不聽命寡人」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「不」:7回目です。頭部に一画載せないタイプです。中山三器には36の字例がありますが、同タイプは8例です。

○「」(聽):「聽」は「耳」、「壬」、「悳」からなり、活字にも「」がありませんが、甲骨文、金文では「壬」、「悳」は付かず、「耳」と「」のみで構成される字例が多くなります。似た字として「聖」がありますが、「聖」は直立つま先立ちする形「壬」が甲骨文、金文ともに入り、中山三器の方壺にも「壬」がついた「聖」の字がでてきます。両字は神の声を聞き分ける超人的な能力を持つことをあらわす字で極めて近い関係を持っています。

○「命」:3回目です。頭に祭帽を載せ、跪いて神の啓示を待つ姿「令」と祝祷を収める器「」(さい)からなる字です。「卩」が「」を抱くようにして配します。

○「頁々」(寡人):8回目です。重読のために踊り字(二の字点)がついているのですが、これで「寡人」と読ませたいようです。実にユニークであり、鷹揚性を感じます。常套句であるこの2字。確かに「寡」の構成の中心となるのは「人」ではあります。

戦国中山王圓鼎を習う(85)「老貯奔走」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「老」:3回目です。おいがしら「耂」と「匕」(か)からなります。「耂」は長髪の人の側身形で、「匕」は人偏を逆さまにした形で、屍の形です。既に述べましたが、右の縦画は本来「へ」から続けられるべきものを装飾的に変化させ離しています。

○「貯」:「宁」(ちょ)と「貝」からなる字です。「宁」は甲骨文では

となっていて物を貯蔵するための箱のようなものと考えられます。この字を「貯」と隷定することに関しては、8月25日と26日の2回にわたる拙論「中山三器「貯」字隷定問題」をご参照いただければ幸いです。

○「奔」:「大」に見える部分は「夭」(よう)です。この「夭」は人が手を振り頭を傾けて走る様だったり、身をくねらせて舞う様をあらわしています。下の部分は3つの「山」にみえます。しかし、もとは「止」(足首から下の部分)からなる「歮」(じゅう)で速く走る様をあらわす部分でした。ところが、「卉」(ふん・き)の形をとる部分を[説文]では「」を3つ列べています。これは「止」の形を誤ったものが定着したと思われます。このようにいくつかの混乱が重なっている様子が窺えます。なお、「賁」(ふん)に含まれるものはおそらく「手」であって、「」の字形との関連が推測されます。下に[字通」の「奔」のところを載せておきます。

○「走」:「奔」が足を3つ列べて速く走る様をあらわしているのに対して、「走」の足は一つです。「奔」、「走」いずれも行人偏がつく字例もあります。「夭」には装飾的渦紋がつきます。さて、両字は走る速度だけの違いなのか。白川静は「金文や〔詩、周頌、清廟〕にみえる「奔走」は祭祀用語。趨も儀礼の際の歩きかたをいう。わが国では「わしる」という。」と述べています。

戦国中山王圓鼎を習う(84)「庸其功吾」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「庸」:2回目です。杵を両手で持つ形の「庚」と土を入れるために囲った柵「用」からなります。いわゆる版築という工法をさすものと想像されます。点画を上部に集め長脚を強調しています。

○「其」:前回に続く11回目となります。

○「工」(功):「工」には2つの系統があるとされています。一つは鍛冶の際に使う台。金文では鉄道のレールの断面形に似たものがそれにあたります。もう一つは巫女が祈祷で舞う際に手で持つ呪具の一種です。これを左手に持つ形が「左」となります。「巫」の字形は甲骨文・金文ともに「」という形になっていますが、白川静はこれを「工」を両手で持つ形としています。しかしながら、他を探しても両手とおぼしきものと認める字例はなく、おそらくは「工」を2つ交叉させたものだと思います。なお、鍛冶台として同類のものに「壬」があり、こちらは中央に肥点をつける場合があります。疎画なので、長尺の中山篆では間延びしてしまいますから上下を少しあけて書きます。

○「」(吾):5回目です。虎頭の部分と魚、各々字形を整え、その上で両者の中心を合わせて書きます。虎頭の「」の下の部分はやや中央に寄せます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(83)「以明其德」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「ム・」(以):7回目です。下の弧の部分は、右側の方を左側よりもやや立てるようにしてから最後に折り返します。

○「明」:偏の「日」は太陽ではなく窓の形で、「明」は月光が窓に差し込む様をあらわした字です。旧字体の「朙」が窓の形を残していますが、甲骨文では窓の形は一様ではなく数種のパターンを確認できます。[古文字類篇](高明ほか編)の「明」のところを参照するとわかりやすいと思いますので下に載せておきます。なお、中山三器にある4例のうち、月の第一画が水平にしているのは今回の字例のみです。他は右上がりにしています。窓の形としては「」をしばしば目にすると思われますが、実は甲骨文の段階では他にも「口・日・田・」などが使われていました。中山篆「明」の形は[説文]の古文と分類された字形につながっています。

[古文字類篇]高明 他
「明」

○「其」:10回目となります。上の部分が竹などで編んだ箕の形で「箕」の初文です。代名詞や副詞に使われるようになり竹冠が加えられました。箕というと穀物の余分なものを払うためのちり取り状の道具を連想しますが、字形から考えるともっと深い籠のようなものである可能性があります。

○「悳」(德):4回目です。「直」と「心」からなり、「ただす・ただしい」の意を持ちます。「直」は「省」と隔てる意の「乚」(いん)による構成。「省」は投稿(40)において「悳省」の語が出ていましたので、そちらも参照してください。「省」の構成素である「生」(少ではない)が「直」そして「悳」と次第に簡略化していくのがわかります。また、巡察の場合には行人偏がつき「德」となりますが、おそらく同字だと考えられます。なお、中山三器では「悳」字は全部で6例。拓影をみると、この字例のみ「直」の部分が若干右に寄っています。ここではそれを修正して書きました。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(82)「世亡不若」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(世):他の金文にはみられない「歺」(がつ)を含む形をしています。「歺」については前回触れました。「世」は草木の枝葉が分かれ新芽が出ている形で「枼」の形をとる場合もありますが、戦国中山国よりやや遅れる郭店楚簡にもこの「歺」と「枼」(よう)に従う字例があります。

○「亡」:3回目となります。身体を折り曲げられた屍の形です。中央の縦画に腐食などによって肥点に見える拓がありますが、「亡」には肥点はつけません。ただ、下の小さな枠の中に横画を加えることがあります。

○「不」:6回目です。上部に一画加えるタイプです。▽の部分は極力小さめに書きます。中山国よりやや遡る春秋期の王子午鼎や侯馬盟書や、中山篆と類似性がいくつか認められる郭店楚簡には肥点が入っていますが、なぜか中山三器の「不」には入る例がみあたりません。

○「若」(諾):2回目です。若は諾の初文で、「よしとする・ゆるす」の意も有します。諸賢は「赦」の仮借としているようですが、すでに「若」にその意があります。上部の櫛状の部分は、両手を掲げ髪を振り乱す様です。中央に巫女を、左に祝祷を収める器(さい)を配しましたので、均衡を図るために右に光彩を放つ様として良く用いられる2画を加えたものと思われます。

戦国中山王圓鼎を習う(81)「死罪及參」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「死」:人の残骨である「歺」(がつ・さつ)とその残骨を拝して弔っている「人」からなる字です。中山三器では「世」も「 」という具合に「歺」を含む形をとっています。この他、「歺」を含む字としては「粲」(さん)など「」(さん・残骨を取る形)を含む一系や「残」(ざん・戔は戈を交えて多く命を失う様)、「殉」(じゅん・死を以てしたがう意)、「殆」(たい・危害がちかづく意)などがあります。ただし、同じ「歺」を含むものでも「列」の場合は本来「」(れつ・髪の残った頭骨)とするのが正しい字です。さらに、残骨をあらわす字としては「冎」(か・上体の残骨)があり、それを構成素としているのが「骨」(胸骨より上の部分)や「咼」(か・祝祷を収める器(さい)が冎に加わったもの)の一系があります。

○「辠」(罪):「罪」の正字は「辠」(ざい)です。「自」は鼻、「辛」は入れ墨用の針。鼻に入れ墨を加える刑をあらわしています。「辛」には肥点が入ります。なお、「罪」は元々は「魚を獲る櫛状の竹の網」のことでしたが、秦の文字統一の際に「辠」に替えたものです。

○「及」:「人」と「又」からなり、後ろから伸ばした手が前の人に及ぶ様です。理由はよくわからないのですが、「攴」の形に影響を受けているのかのように中山篆は1画多くなっています。その字形は、ほぼ期を一にする侯馬盟書と同じもので、その後も郭店楚簡などに継承されていきます。

○「參」:2回目となります。本来は三本の玉のついた簪(かんざし)である「厽」(るい)と、人の側身形、さらに光彩ある様である「彡」(さん)からなり、簪で飾られた人のあでやかな様をあらわす字です。簪の実際の本数は3本なのか沢山であるかはわかりませんが、字形が3本になっていることから、この字を数詞の3に用いるようになりました。中山篆では簪が星型に変わり(この形が秦篆(説文)に反映されることになります)、人体は一本の縦曲線に、光彩の「彡」は渦紋に変化しています。なお、中山三器には「㐱」を含む「戮」(りく)が出てきますが、そこでは渦紋とはせず、  のように「ノ」を用いた表現になっていて、光彩を放つ様が「ノ」であったり渦紋であったりして造字上の装飾に鷹揚性があることがわかります。

 

戦国中山王圓鼎を習う(80)「厥命隹有」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(厥):4回目です。[字通]によれば、上の「コ」の部分は取っ手で下の縦線が曲がった刃となる曲刀の形です。[説文]十二下の「氒」の条に「木の本なり。氏に從ふ。末よりも大なり。讀みて厥の若くす」(注:氒には根や切り株の意があるが、橛がそれと同じ意を持つ。「氏」は小さな取っ手のある刀) さらに[金文編]の「氒」には「橛の古文であり、敦煌本で隷古定という古い書体で書かれた尚書には厥を皆、氒としている」との説明が附されていて、活字への隷定では「氒」が充てられることがあります。しかしそれらはあくまでも声系が近いという問題からの孳乳。さらに、同じ刀類であっても「氏」(是)の形とは構造が異なる点については、白川静が「氏」の大きいものが「厥」つまり今回の字であるとしているのです。しかし、それでも「氏」の形を含む「氒」を充てる理由としては今ひとつ判然としないのです。従って、ここでは仮に「」としておきます。

○「命」:2回目です。「」は前回では上に伸ばしていましたが、今回はややコンパクトに収めています。中山三器での5例のうち、4例がこのパターンです。

○「隹」(雖):ここでは「雖」の意で使われています。「隹」の形をとるものは「唯」として用いるもの15例で、「誰」と「雖」がそれぞれ1例となっています。

○「有」:3回目です。今回のものは渦紋の終画を長く伸ばして、左上・右下・左下の3つのベクトルの調和を図っているようにもみえます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(79)「是以賜之」

《於虖、攸(悠)哉天其又(有)刑、于在厥邦。氏(是)以寡人、(委)賃(任)之邦、而去之游、亡遽惕之(慮)。昔者(吾)先祖(桓)王、邵考成王、身勤社稷、行四方、以□(憂)勞邦家。含(今) (吾)老賙(貯)、親䢦(率)參軍之衆、以征不宜(義)之邦、奮桴振鐸、闢啓封疆、方數百里、剌(列)城數十、克敵大邦。寡人庸其悳(徳)、嘉其力。氏以賜之厥命。》

《於虖(ああ)、悠なる哉。天其れ刑すること有り、厥(そ)の邦に在り。是れ以て寡人、之の邦を委任して、去りて之(ゆ)き游ぶも、遽惕(きょてき)の慮亡し。昔者(むかし)、吾が先祖桓王、邵考成王、身づから社稷に勤め、四方を行(めぐ)り、以て邦家に憂勞せり。今、吾が老貯、親しく参軍の衆を率ゐて、以て不宜(義)の邦を征し、桴を振ひ、鐸を振ひ、邦疆を闢啓すること、方數百里、列城數十、克(よ)く大邦に敵(あた)れり。寡人、其の徳を庸(功)とし、其の力を嘉(よみ)す。是れ以て之(これ)に厥(そ)の命を。》

○「氏」(是):3回目。取っ手がある小型の肉切り刀の形ですが、「是」(ぜ・これ)の意で用いられています。金文には左右が逆になった字例があり、中山三器の円壺にある「氏」もその一つです。肥点と渦紋の位置は概ね同じ高さにして揃えます。

○「ム・」(以):6回目です。左上から入って中央の位置から左に転じ、弧を描くようにして最後は右上から中心線に向かって鋭く折り返して書きます。

○「賜」:「貝」と「易」からなる字です。しかし、甲骨文には明確にこの字であるとされるものはありません。ただ、甲骨文および金文には、酒の入った大きな爵から別の杯に酒を注ぐ(分け与える)形となっているものがあって、[字通]には「易」の構造をしたものとともに「賜」に比定されています。これが正しいとすれば、実に造形的に興味深い字でもあります。また、「易」について、同[字通]では「日+勿(ふつ)。日は珠玉の形。勿はその玉光。玉光を以て魂振りを行う。玉を台上におく形は昜(よう)で、陽と声義が近い。」とあるのですが、やや「昜」の字義に囚われた解釈ではないかとも思え、「易」の数多くある金文の字例を通観すればその説に多少違和感を覚えざるを得ません。[字通]が「賜」とした甲骨文および金文から判断すれば、爵を持つ輪の部分と注がれる酒をあらわす3つの線のみに簡略化したものが「易」となると考えるのが妥当であるような気がします。また、中山篆では「易」の「日」にあたる部分を右側に輪の様にして書く点についても、その意味では字義に適った造形であるともいえます。

[字通] 賜

○「之」:14回目となります。中央の縦画の後半右へ曲げる部分はなかなか難しいところです。伸びすぎてしまうと重心が左に寄ってしまう傾向があります。