戦国中山王圓鼎を習う(90)「稷之光是」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「禝」(稷):正字は「稷」。示偏ではなく、ノ木偏です。農耕の神あるいはミートミレットともいわれる「たかきび」をさす字です。「社」とともに用いること4回目です。声符の「畟」(しょく)が田神をあらわしています。示偏に替わったのはそのためでしょうか。ノ木偏が示偏に変わることは、楷行書において字形が近いこともあって三国時代以降、「秦」などでもみられますし、逆に、「秘」のように本来の形である「祕」の通用体が定着してしまう例もあります。なお、中山篆では「田」字形に角を出すものがありますが、「愚」の「頭」をあらわす場合だけでなく、「胃」の「胃袋」をあらわす場合にもつける例があります。

○「之」:15回目となります。

○「光」:「火」と両脚をあらわす「儿」(じん・にん)とからなります。火を掌る立場の人をいう字です。脚部の周囲にある4つの画は光彩や気を放ったり、風を生んだり、禾穂の実がはじけたりする象で、「若・頁(寡)・翏(りょう)・穆」などに共通する装飾的表現です。なお、「火」は「勞」でも同形を用いますが、「魚」の字でも尾びれあたりの部分も肥点の位置が若干異なるものの似た形になっています。

○「氏」(是):4回目。共餐のときに肉を切り分けるために使う取っ手が付いた小刀の形です。両字を通用させるのは音が近いためです。刀身につく横画は肥点になることがあり、中山篆では肥点を渦紋の位置に揃えて書きます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(89)「業々恐隕社」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「々」(業々):「々」は「ぎょうぎょう」と読み、畏れる様をいう語です。この「」は「業」に通じ、「業」はまた災いや危ういという意を持つ「隉」(げつ)にも通じる字です。(45)には「」(業)が出ていましたが、この場合は仕事・事業の意として使われていました。「業」はぎざぎざの歯があって土を撲(う)ち固める版築の道具とされています。

○「」(恐):「恐」は呪具である「工」を両手で掲げる「」(きょう)からなりますが、この「」が「恐」の初文であり、両手を省いた「」も同様に畏れかしこまる意となります。このところ、「心」を含む字がたびたび登場してきますが、中山三器には「心」を含む字が実に31種存在しています。

○「隕」:天より落ちるものをさす字です。声符の「員」(いん・えん)は鼎の口のまるい様をいうことから「まるい・あまねし・かず」などの意を持ち、「阝」は神梯、つまり神が天から降りてくるためのはしごの形です。梯子の足をかける段は中程にコンパクトに集めて緊密にし、上下の伸びを強調させます。

○「」(社):4回目です。国家をさす「社稷」の語として円鼎銘文に使われています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(88)「不可得憚」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「不」:8回目になります。第一画の長さは▽部の幅に揃えて書きます。ちなみに、中山三器の場合は「不」の字はすべて肥点は入らないのですが、「不」を含む「否」には肥点を入れています。また、中山王諸器の兆域図の場合は肥点ではなく横画を入れた字形になっています。

○「可」:祝祷の器「」(さい)を木の枝「」(か)で打ち、神からの託宣を促す形。その結果、神からの許可が下りるわけです。ちなみに、「攴・攵」(ぼく)は木の枝を手で持つ形で、やはり刺激を与えてある結果を促す場合に用いられます。始筆の曲がった部分は中山篆特有のものですが、細くなった梢を想起させます。

○「」(㝵・得):「貝」と「又」(ゆう)からなります。財産となる貝を獲得する様をあらわしています。戦果など行きて(赴きて)獲得する場合は「彳」(てき)がついて「得」となります。ここでは「貝」の2本の脚がありませんが、単なる貝の割れ目を表現する上での違いで、中山三器の円壺にある「貯」字にも脚を省略した字例をみることができます。

○「憚」:「はばかる・いむ・おそれる・いかる・おどす」など様々な意をもつ字で、音は「たん・だん・た」。「單」(たん・せん・ぜん)が声符で、「憚々」(たんたん)とは畏れおののく様。続く「々」も同様に畏れる様です。中山王が相邦(家臣の長・相国に同じ)の貯の獅子奮迅の功績を認めながらも、策命を受けようとしないことにもしや国を去るのではないかと危惧している部分です。「憚」の春秋期以前の古い字形を知ることはできず、同戦国期の郭店など楚簡にこの系列の字例を認めるのみです。「單」は羽などの飾りをつけた楯の形です。ところで、春秋晩期の蔡侯匜にある「單」字をみると、この飾りどうしをつなげている部分の形が前回(87)の「懼」の字形に影響を与えているのはほぼ間違いないのではと思われます。

[字通]単  をもとに作成

戦国中山王圓鼎を習う(87)「懼其忽然」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「懼」:「心」と「瞿」(く)からなる字です。「瞿」は鳥が恐れおののいて両目を繁くきょろきょろさせ、周囲を見張る様です。中山三器では「目」の形に5つ、また三器以外の『兆域図』にも別の2パターンがあり、合わせて7通りの表現がありますが(ただし「馬」の頭部に使う「目」形は除く)、「懼」のパターンは唯一この字だけです。両目を束ねた部分が「庸」に含まれる「午」の形と近似していますが、繋げたり束ねたりする字例は他にはなくこの由来は不明です。ただ、春秋晩期の蔡侯匜に出てくる「單」の字形がこの「懼」に大きな影響を与えているように思えます。そのことは次回の(88)「憚」のところで説明したいと思います。なお、表現の変化という点では特に、「」(睿の異体字)において、2つの「目」を形を変えて表現しているところなどに中山篆の自由な装飾的意匠を感じます。また、「心」を含む字はこの後に出てくる「忽」のように偏旁ではなくすべて下に配した構成となります。(方壺に出てくる「忨」(がん)はやや偏旁構成に近い)

 

○「其」:12回目です。横画がほぼ上下中央の位置にするとまとまります。

○「忽」:声符は「」(ふつ)です。この「」を白川静は弓の弦に飾りがついたものか、あるいは弦が断裂したもの、または耜で土を跳ね上げる様などと推定しています。弓は邪悪を祓うときに祭器として用いますが、弦を断ずることから「禁止」の意が付加します。

○「然」:生け贄としての犬肉である「肰」(ぜん・ねん)と「火」とからなる字で、犬肉を焼く様をあらわしています。甲骨文には犬肉を焼いて天神を祀ることが記録されています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(86)「不聽命寡人」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「不」:7回目です。頭部に一画載せないタイプです。中山三器には36の字例がありますが、同タイプは8例です。

○「」(聽):「聽」は「耳」、「壬」、「悳」からなり、活字にも「」がありませんが、甲骨文、金文では「壬」、「悳」は付かず、「耳」と「」のみで構成される字例が多くなります。似た字として「聖」がありますが、「聖」は直立つま先立ちする形「壬」が甲骨文、金文ともに入り、中山三器の方壺にも「壬」がついた「聖」の字がでてきます。両字は神の声を聞き分ける超人的な能力を持つことをあらわす字で極めて近い関係を持っています。

○「命」:3回目です。頭に祭帽を載せ、跪いて神の啓示を待つ姿「令」と祝祷を収める器「」(さい)からなる字です。「卩」が「」を抱くようにして配します。

○「頁々」(寡人):8回目です。重読のために踊り字(二の字点)がついているのですが、これで「寡人」と読ませたいようです。実にユニークであり、鷹揚性を感じます。常套句であるこの2字。確かに「寡」の構成の中心となるのは「人」ではあります。

戦国中山王圓鼎を習う(85)「老貯奔走」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「老」:3回目です。おいがしら「耂」と「匕」(か)からなります。「耂」は長髪の人の側身形で、「匕」は人偏を逆さまにした形で、屍の形です。既に述べましたが、右の縦画は本来「へ」から続けられるべきものを装飾的に変化させ離しています。

○「貯」:「宁」(ちょ)と「貝」からなる字です。「宁」は甲骨文では

となっていて物を貯蔵するための箱のようなものと考えられます。この字を「貯」と隷定することに関しては、8月25日と26日の2回にわたる拙論「中山三器「貯」字隷定問題」をご参照いただければ幸いです。

○「奔」:「大」に見える部分は「夭」(よう)です。この「夭」は人が手を振り頭を傾けて走る様だったり、身をくねらせて舞う様をあらわしています。下の部分は3つの「山」にみえます。しかし、もとは「止」(足首から下の部分)からなる「歮」(じゅう)で速く走る様をあらわす部分でした。ところが、「卉」(ふん・き)の形をとる部分を[説文]では「」を3つ列べています。これは「止」の形を誤ったものが定着したと思われます。このようにいくつかの混乱が重なっている様子が窺えます。なお、「賁」(ふん)に含まれるものはおそらく「手」であって、「」の字形との関連が推測されます。下に[字通」の「奔」のところを載せておきます。

○「走」:「奔」が足を3つ列べて速く走る様をあらわしているのに対して、「走」の足は一つです。「奔」、「走」いずれも行人偏がつく字例もあります。「夭」には装飾的渦紋がつきます。さて、両字は走る速度だけの違いなのか。白川静は「金文や〔詩、周頌、清廟〕にみえる「奔走」は祭祀用語。趨も儀礼の際の歩きかたをいう。わが国では「わしる」という。」と述べています。

戦国中山王圓鼎を習う(84)「庸其功吾」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「庸」:2回目です。杵を両手で持つ形の「庚」と土を入れるために囲った柵「用」からなります。いわゆる版築という工法をさすものと想像されます。点画を上部に集め長脚を強調しています。

○「其」:前回に続く11回目となります。

○「工」(功):「工」には2つの系統があるとされています。一つは鍛冶の際に使う台。金文では鉄道のレールの断面形に似たものがそれにあたります。もう一つは巫女が祈祷で舞う際に手で持つ呪具の一種です。これを左手に持つ形が「左」となります。「巫」の字形は甲骨文・金文ともに「」という形になっていますが、白川静はこれを「工」を両手で持つ形としています。しかしながら、他を探しても両手とおぼしきものと認める字例はなく、おそらくは「工」を2つ交叉させたものだと思います。なお、鍛冶台として同類のものに「壬」があり、こちらは中央に肥点をつける場合があります。疎画なので、長尺の中山篆では間延びしてしまいますから上下を少しあけて書きます。

○「」(吾):5回目です。虎頭の部分と魚、各々字形を整え、その上で両者の中心を合わせて書きます。虎頭の「」の下の部分はやや中央に寄せます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(83)「以明其德」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「ム・」(以):7回目です。下の弧の部分は、右側の方を左側よりもやや立てるようにしてから最後に折り返します。

○「明」:偏の「日」は太陽ではなく窓の形で、「明」は月光が窓に差し込む様をあらわした字です。旧字体の「朙」が窓の形を残していますが、甲骨文では窓の形は一様ではなく数種のパターンを確認できます。[古文字類篇](高明ほか編)の「明」のところを参照するとわかりやすいと思いますので下に載せておきます。なお、中山三器にある4例のうち、月の第一画が水平にしているのは今回の字例のみです。他は右上がりにしています。窓の形としては「」をしばしば目にすると思われますが、実は甲骨文の段階では他にも「口・日・田・」などが使われていました。中山篆「明」の形は[説文]の古文と分類された字形につながっています。

[古文字類篇]高明 他
「明」

○「其」:10回目となります。上の部分が竹などで編んだ箕の形で「箕」の初文です。代名詞や副詞に使われるようになり竹冠が加えられました。箕というと穀物の余分なものを払うためのちり取り状の道具を連想しますが、字形から考えるともっと深い籠のようなものである可能性があります。

○「悳」(德):4回目です。「直」と「心」からなり、「ただす・ただしい」の意を持ちます。「直」は「省」と隔てる意の「乚」(いん)による構成。「省」は投稿(40)において「悳省」の語が出ていましたので、そちらも参照してください。「省」の構成素である「生」(少ではない)が「直」そして「悳」と次第に簡略化していくのがわかります。また、巡察の場合には行人偏がつき「德」となりますが、おそらく同字だと考えられます。なお、中山三器では「悳」字は全部で6例。拓影をみると、この字例のみ「直」の部分が若干右に寄っています。ここではそれを修正して書きました。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(82)「世亡不若」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、參世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「」(世):他の金文にはみられない「歺」(がつ)を含む形をしています。「歺」については前回触れました。「世」は草木の枝葉が分かれ新芽が出ている形で「枼」の形をとる場合もありますが、戦国中山国よりやや遅れる郭店楚簡にもこの「歺」と「枼」(よう)に従う字例があります。

○「亡」:3回目となります。身体を折り曲げられた屍の形です。中央の縦画に腐食などによって肥点に見える拓がありますが、「亡」には肥点はつけません。ただ、下の小さな枠の中に横画を加えることがあります。

○「不」:6回目です。上部に一画加えるタイプです。▽の部分は極力小さめに書きます。中山国よりやや遡る春秋期の王子午鼎や侯馬盟書や、中山篆と類似性がいくつか認められる郭店楚簡には肥点が入っていますが、なぜか中山三器の「不」には入る例がみあたりません。

○「若」(諾):2回目です。若は諾の初文で、「よしとする・ゆるす」の意も有します。諸賢は「赦」の仮借としているようですが、すでに「若」にその意があります。上部の櫛状の部分は、両手を掲げ髪を振り乱す様です。中央に巫女を、左に祝祷を収める器(さい)を配しましたので、均衡を図るために右に光彩を放つ様として良く用いられる2画を加えたものと思われます。

戦国中山王圓鼎を習う(81)「死罪及參」

《氏以賜之厥命。隹又死辠、及參世、亡不若。以明其悳、庸其工。老貯奔走咡命。寡人懼其忽然不可得、憚々業々、恐隕社稷之光。氏以寡人許之。、克又工智旃。詒死辠之又若、智爲人臣之宜旃。》

《是れを以て之(これ)に厥(そ)の命を賜ふ。死罪有りと雖も、世に及ぶまで、若(ゆる)さざる亡し。以て其の徳を明らかにし、其の工(功)を庸とす。吾(わ)が老貯、奔走して命を聽かず。寡人、其の忽然として得べからざるを懼れ、憚々業々として、社稷の光を隕(おと)さんことを恐る。是を以て、寡人之を許せり。謀慮皆従ひ、克く工(功)有るは智なり。死罪の若(ゆる)さるる有るを詒(おく)り、人臣爲るの宜(義)を知るなり。》

○「死」:人の残骨である「歺」(がつ・さつ)とその残骨を拝して弔っている「人」からなる字です。中山三器では「世」も「 」という具合に「歺」を含む形をとっています。この他、「歺」を含む字としては「粲」(さん)など「」(さん・残骨を取る形)を含む一系や「残」(ざん・戔は戈を交えて多く命を失う様)、「殉」(じゅん・死を以てしたがう意)、「殆」(たい・危害がちかづく意)などがあります。ただし、同じ「歺」を含むものでも「列」の場合は本来「」(れつ・髪の残った頭骨)とするのが正しい字です。さらに、残骨をあらわす字としては「冎」(か・上体の残骨)があり、それを構成素としているのが「骨」(胸骨より上の部分)や「咼」(か・祝祷を収める器(さい)が冎に加わったもの)の一系があります。

○「辠」(罪):「罪」の正字は「辠」(ざい)です。「自」は鼻、「辛」は入れ墨用の針。鼻に入れ墨を加える刑をあらわしています。「辛」には肥点が入ります。なお、「罪」は元々は「魚を獲る櫛状の竹の網」のことでしたが、秦の文字統一の際に「辠」に替えたものです。

○「及」:「人」と「又」からなり、後ろから伸ばした手が前の人に及ぶ様です。理由はよくわからないのですが、「攴」の形に影響を受けているのかのように中山篆は1画多くなっています。その字形は、ほぼ期を一にする侯馬盟書と同じもので、その後も郭店楚簡などに継承されていきます。

○「參」:2回目となります。本来は三本の玉のついた簪(かんざし)である「厽」(るい)と、人の側身形、さらに光彩ある様である「彡」(さん)からなり、簪で飾られた人のあでやかな様をあらわす字です。簪の実際の本数は3本なのか沢山であるかはわかりませんが、字形が3本になっていることから、この字を数詞の3に用いるようになりました。中山篆では簪が星型に変わり(この形が秦篆(説文)に反映されることになります)、人体は一本の縦曲線に、光彩の「彡」は渦紋に変化しています。なお、中山三器には「㐱」を含む「戮」(りく)が出てきますが、そこでは渦紋とはせず、  のように「ノ」を用いた表現になっていて、光彩を放つ様が「ノ」であったり渦紋であったりして造字上の装飾に鷹揚性があることがわかります。