戦国中山王方壺を習う(1)(2)

戦国中山国から出土した代表的な青銅器三器の学びとして、円鼎に次ぐ第2弾となります。

[隹十四年]   隹(こ)れ十四年

[中山王]   中山王(サク・セキ)

中山王方壺(捜狐“金石笔韵 寻源中山”|“中山三器”铭文拓片欣赏より)
中山王方壺拓第一面(“金石笔韵 寻源中山”|“中山三器”铭文拓片欣赏 より)

 

栃木県芸術祭書道部門出品作品「無無明盡」

2022年の栃木県芸術祭(県文化協会主催)書道部門への出品作品です。過日の下野の書展には般若心経から採った「無無明盡」の甲骨文、小篆、中山篆からなる3種を発表しましたが、それに加わる郭店楚簡に取材した拙作です。

無無明盡(郭店楚簡)  80㎜×24㎜

本日、11月6日(日)の13:30からは展覧会場にて入賞者をはじめとする作品の批評会に審査員として臨みます。

 

篆刻入門講座「干支印を彫ってみよう」を開催しました。

去る10月30日、栃木県総合文化センターにおいて、篆刻入門講座「干支印を彫ってみよう」(観星楼書道篆刻研究院主催・栃木県文化協会共催)が催されました。参加者は37名で、他にも見学に訪れた先生方が何名もおられました。来年の干支は「癸卯」です。ここに、講習の資料に載せた校字と印稿例、および完成した参加者の印の一部をご紹介いたします。なお、私の作成した印稿はご自由にお使いいただいて結構です。(著作権は保持しています)

印稿「癸卯」
印稿「卯」
校字
講習会参加者の作品(一部) ※補刀を施してあります

戦国中山王圓鼎を習う(114)「之毋替厥邦」(最終回)

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難人才彷。於虖。子々孫々永定保之、毋竝厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を保し厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ

○「之」:24回目(重文を含む)です。

○「毋」:5回目です。

○「竝(並)」(替):中山王円鼎ではこの1例のみです。「立」が2つ、2人が並んで立つ形です。「替」は「すてる・ないがしろにする」意があり、正字は「竝」と「曰」からなり、「並」とは通じています。ここの「毋替」について、小南一郎は、「古典では「勿替」と表現される。例えば「詩」小雅楚茨に「子々孫々、勿替引之」(すつるなくこれをながくせよ))とあるほか、「尚書」康誥の「王若曰、往哉、封、勿替敬典」(てんをけいするをすつるなかれ)など、主君の公式の発言や祝詞の最後に用いられることが多い。」と述べています。

○「」(厥):5回目です。

○「邦」:10回目です。

○「円形巴紋符号」:「邦」字の上にありますが、微妙に左にずれており、「邦」と同じ行ではありません。「邦」を刻んだ後、ここを以て銘文が終了することを示すため、間の空いた余白に配したものと思われます。これと同様に、中山王方壺にも銘文の最後に1つ、円壺では最後の行の隣に上下2つ配しています。円壺に2つ配した理由は、その直ぐ左隣に第1行が始まるために加えた配慮と思われます。句読点は用いることがないわけですが、さすがに、このマークがなければ銘の出だしを見つけることは難しく、その難を避けたものと思われます。その発想にも中山篆の造形美の淵源をみてとることができそうです。

戦国中山王圓鼎を習う(113)「孫々永定保」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難人才彷。於虖。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「孫々」:「孫」は「子」と「系」とならなる。[字通]に「系」は組紐のような呪飾としていますが、結び繋ぐ義を含むと思われます。「孫」が登場するのは中山王円鼎ではここだけです。

○「永」:水脈の形とされ、「永」が合流、「」は「永」の反文で分流とされているのですが、甲骨文をみると両字は区別なく使われており、かつ、「永」の形には「彳」(てき)と「人」からなる系統があるようにも思えます。事実、「道」の異体字とされている「」には「永」と同形のものが甲骨文にあり、その一方で、「道」には甲骨文とされるものがありません。中山篆の「永」は「彳」の姿が留められています。

[古文字類編]永と
[古文字類編]道とその異体字

○「定」:「宀」(べん)と「正」からなります。中山王円鼎ではこの1例のみです。

○「保」:[字通]によれば「人+子+褓(むつき)をかけた形。金文の字形はときにの形に作り、上になお玉を加える。玉は魂振り、褓も霊を包むものとして加えたもので、受霊・魂振りの呪具。生まれた子の儀礼を示す字である。」とあります。中山篆のこの字形は説文古文にあります。「俘」と似ていますが、「子」の両脇の褓(むつき)の有無に違いがあります。

戦国中山王圓鼎を習う(112)「念之哉子々」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難人才彷。於虖。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「」(念):2回目です。「含」と「心」から構成されています。蓋や栓をあらわす「今」の形は、春秋以降になって右を長く垂らすようになります。

○「之」:重文を含めて23回目です。

○「」(哉):6回目。糸束の形「」(ゆう)と「才」からなり、「哉」に通じています。「哉」は「」(さい)と「」からなりますが。既に「」の中にある「才」が「」を含んでいます。

○「子々」:3回目です。

 

戦国中山王圓鼎を習う(111)「在旁於乎」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。邦難才彷。於虖念之哉。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「才」(在):3回目です。中山王円鼎では「在」の意で使用する3例すべてが「才」の形ですが、同方壺の場合は「在」の形が2例(第一面と第三面)、「才」の形が1例(最後の第四面)と統一されていません。

○「彷」(旁):声符が「方」で「旁」に通じここでは「かたわら」の意となります。

○「於」:10回目となります。この「於」は他の例と比較すると、「烏」の足の部分が若干異なっています。

○「虖」(乎):7回目です。

戦国中山王圓鼎を習う(110)「難寴仇人」

《智爲人臣之宜施。於虖、念之哉。後人其庸々之、毋忘爾邦。昔者呉人并粤。粤人斅備恁、五年復呉、克并之至于含。爾毋大而。毋富而喬。毋衆而囂。才彷。於虖念之哉。子々孫々永定保之、毋替厥邦。》 76行 469字

《人臣爲るの宜(義)を知るなり。於虖(ああ)、之(これ)を念(おも)へ哉(や)。後人其れ之を庸として用い、爾(なんぢ)の邦を忘るること毋(なか)れ。昔者(むかし)、呉の人、を併せたり。越人、修教備恁し、五年にして呉を覆し、克ちてを併せ、今に至れり。爾(なんぢ)、大なりとして肆(ほしいまま)なること毋れ。富めりとして驕る毋れ。衆なりとして囂(おご)る毋れ吝(隣)邦も親しみ難し。仇人、旁らに在り。於虖(ああ)、之を念へ哉(や)。子々孫々永く之を定保し、厥(そ)の邦を替(す)つる毋れ。

○「難」:2回目です。(かん)と隹(すい)とからなります。[字通]では「」の上部は鏑矢(かぶらや)、つまり矢を射ると音が出るように鏃のところに鏑(矢の先端につける蕪つまりかぶの形で穴をあけたもの)を付けた合戦開始の合図に用いる矢で、下は「火」であることから火矢であるとし、火矢を以て鳥を獲る象であるとしています。

○「」(寴):「寴」は「宀」(べん)と「親」からなります。[字通]によれば、「神事に用いる木をえらぶために辛(針)をうち、切り出した木を新という。その木で新しく神位を作り、拝することを親という。」とあり、声義が通じる「新」に替えたものと思われます。

○「」(仇):字形からは呪霊を持つ獣「求」と「戈」(ほこ)からなり、獣の皮と戈によって祟りを祓う形です。ここでは「求」と同音の「仇」の意で用いています。

○「人」:14回目となります。