「襄首奮翼」 『漢書』鄒陽伝より

この印文「襄首奮翼」(首を上げ翼を奮う)の4字はどれも魅力的な造形を有しています。

最初の「襄」ですが、この造形とその字源の解釈には、かねてより強い関心を抱いてました。白川静先生著『字通』には「衣+吅(けん)+㠭(てん)。衣は死者の衣。その襟もとに、祝禱の器(口(さい))を二つおき、また呪具の工を四個おいて塡塞(てんそく)し、邪気が放散することを防ぎ、禳(はら)うのである。ゆえに襄は「禳う」「攘(はら)う」の初文。金文の字形は、衣の間に種々の呪具をおく形に作る。」とあります。

しかし残念ながら、その説の前段を裏付ける字例(字形)を「襄」の関連字を含め戦国期以前に見いだすことは終ぞできず、浅学の身としては悶々とするばかりです。金文の字形からは、死者の衣襟に置かれた様々な呪具と眉飾を施した巫女の姿ばかりが目に映ります。この謎めいた象形が、実は創作意欲を心地よく刺激してくるのです。下には字書の一つ「古文字類篇」の該当頁を載せておきました。

印文「襄首奮翼」は「首を上げ翼を奮う」と読み、前向きな気持ちに切り替えて行動しよういう意に捉えました。『漢書』鄒陽伝に出てくる句です。つまりここでは本来「祓う(禳う)」意である「襄」を「上げる」の意に用いているわけです。その点については、春秋時代あたりに成立したと目される『書経』尭典に「陵(をか)に襄(のぼ)る」の襄が、驤字の義であるとしています。「驤」字は秦漢印に用例を見ることはありますが、実はさらに遡って春秋期には登場していたということになり、その時には「襄」と通用していたということになります。とはいえ、厳密にいえば周代金文を「あがる」や「のぼる」の意で用いるのは好ましくないのかもしれませんね。篆刻の難しい問題の一つです。

「襄」には「衣」を略したものがあります。「奮」の金文の構成素「衣」と重複することを避けるためにこの字形を採りました。「首」と「翼」のベクトルによる織成も狙いの一つです。

他の3字についても簡単に触れておきます。「首」は頭髪を強調した首の貌。まさにおぞましい姿をさらけ出しているようです。首を逆さまに懸けて髪が垂れる形は「県」(郻の偏部)、その県に屍体であることを示す「匕(か)」をつけたのが「真(眞)」です。

そして「奮」。金文の字形は衣、隹(とり)、田から構成されています。死者の霊が舞昇るさまを鳥形を以てし、霊が収まっていた場所を田形にしているわけです。田形は田畑の田ではなく、「思」のように心の働きを掌る場所や魂の宿る場所として用いることがあります。(口の中は+の場合と×の両方があり、「脳」の小篆は×系、「鬼」は+系、「思」はその両系) そこから鳥形と想像した霊が身体から遊離して飛び立つ姿というわけです。ちなみに「奪」はその遊離せんとする鳥形の霊を下から手でとらえようとする象です。

最後は「翼」。「翼」は正字を■(上に「飛」、下に「異」)に作り異(よく)を声符とする字で、異は鬼形の神の象です。構成する字画のベクトルが多彩で、篆刻の表現では魅せられる素材の代表格といって良いと思います。

襄首奮翼
74㎜×57㎜
「襄」古文字類編

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