海外から印稿(印のデザイン)の依頼がきました。

ポーランド(Republic of Poland)の方から印(hanko)のデザイン(design)を頼まれました。

日本文化にとても関心があり、ポーランドでは弓道を習われているほど。

その弓道の先生から、彼の名前の通称として、日本語読みの「そてつ(sotetsu)」とその音に充てた漢字の表記「相鉄」をつけていただいたそうです。

早速、3種の印稿を作成し、彼のもとへ送ったものを紹介します。彼は3番目の円形のデザイン(金文体)が気に入ったとのことです。

ポーランドの《そてつ(相鉄)sotetsu》さんの為の印稿3種

 

5年前の個展出陳作品 《説文解字叙最終節》です。

5年前の個展出陳作品 「説文解字叙最終節」です。

先師の書風を標榜しつつも、自俗の桎梏から逃れられない姿を曝し、自らを省みる墓標のようなものですが、時々見直しをして、陥りやすい不具合を確認しています。

204㎝×69㎝×4

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説文解字叙最終節1
204㎝×69㎝
説文解字叙最終節2
204㎝×69㎝
説文解字叙最終節3
204㎝×69㎝
説文解字叙最終節4
204㎝×69㎝

「道在邇」・「道在邇而求諸遠」(『孟子』離婁章句)二印を紹介させていただきます。

「道在邇」・「道在邇而求諸遠」(『孟子』離婁章句)二印を紹介させていただきます。

人がとるべき道は、決して遠くにではなくすぐ近くにあるもの。しかし、往々にしてそのことに気づかずこれを遠くに求めてしまいがちです。

道在邇而求諸遠。 みちちかきにり、しかるにこれをとおきにもとむ。
事在易而求諸難。 ことやすきにり、しかるにこれかたきにもとむ。
人人親其親、    人人にんにんおやおやとし、
長其長而天下平。 ちょうちょうとせば、しかるに天下平てんかたいらかなり。

「道在邇」
小篆  54㎜×54㎜
「道在邇而求諸遠」
中山篆 40㎜×40㎜

なお「邇」は「爾」とも表記するが共に通ずる字である。白川静著『字統』には「邇」の用例について次のように説明している。(部分)

 

漢字学の泰斗《白川静》先生のために刻した印です。

漢字学の泰斗、白川静先生のために刻した印を紹介します。

もう随分前になります。白川静先生が文字文化研究所(初代理事長は中田勇次郎、現在は改編し日本文字文化機構と改称)の理事長であった時分、常任理事の宇佐美公有さんは漢字普及委員会を立ち上げ、子供たちに漢字の魅力と正しい理解を普及させるための教材作りに取りかかりました。その際、小生が宇佐美さんからその委員会の副委員長にとのご推挙をいただいたのは恐縮の至りでした。

この印はその頃、宇佐美さんが仲介に入り、白川静先生のための印を刻すようにとの命を賜り制作したものです。恐れ多いご拝命に終始緊張した仕事でしたが、奇をてらうことなく、品格を出せればと念じたことを思い出します。

白川静先生用印「白川静印」
21㎜×21㎜
白川静先生からのお手紙
第9回文字講話会場講演風景
気迫溢れる白川先生のお姿に聴衆は皆魅了されました。
この写真は宇佐美さんからご提供いただいたものです。
文字講話後に「漢字の縦書きの淵源」について質問させていただきました。

王維詩「過香積寺」 香積寺(こうしゃくじ)を過ぐ

王維詩「過香積寺」 香積寺(こうしゃくじ)を過ぐ

王維詩「過香積寺」
不知香積寺  知らず香積寺
数里入雲峰  数里雲峰に入る
古木無人径  古木人径なし
深山何処鐘  深山何れの処の鐘ぞ
泉声咽危石  泉声危石に咽(むせ)び
日色冷青松  日色青松にひややかなり
薄暮空潭曲  薄暮空潭の曲
安禅制毒竜  安禅毒竜を制す
 

この詩は王昌齢が詠んだとする説(『全唐詩』・『文苑英華』)もありますが、ここでは『唐詩選』などに従い王維詩として筆を執りました。

王維(『旧唐書』699年 – 759年)

香積寺は西安市に現存する中国浄土宗の祖庭(宗祖もしくはそれに近い僧が宣教し埋葬された地)です。安史の乱や文化大革命で荒廃に曝されましたが、その後再興成り現在に至っています。香積寺と称すようになったのは唐の中宗の神龍2年(706年)以降で王維がこの詩を詠んだときは長安の名刹として知られた存在でした。

この詩の情景を辿ると、王維は香積寺の伽藍に入ったのかについては判然としません。香積寺に特別の関心を示すわけでもなく(不知香積寺・深山何処鐘)、むしろ伽藍には立ち入らず、寺から離れたひとけのない川の淵に暫し座禅をくみ己の内面に巣くう煩悩や世の乱れに対する怒り苦しみを鎮めようとする王維の姿を髣髴とさせます。いかに名刹との名声があろうとも、王維にとっては深山遠くに聞く鐘(深山何處鐘)、険しい岩に水流の砕け散る音(泉聲咽危石)、陽に青松が冷ややかに浮かび(日色冷青松)、いつしか暮色に染まっていく淵のほとりこそが(薄暮空潭曲)、世俗と離れ静かに己に対峙できる場なのだとおもいます。したがって、あえて香積寺には向かわず傍をよぎることにしたのであって、「過」を訪れる意と解することには首肯できない気がするのです。

旧作のご紹介です。「仰観宇宙之大 俯察品類之盛」

王羲之の蘭亭序からとった、白文印「仰観宇宙之大 俯察品類之盛」をご紹介させていただきます。名文として知られる蘭亭序ですが、この部分はその中でも特に美しい表現といえます。実はこれは易経繋辞上伝にある「易與天地準。故能彌綸天地之道。仰以觀於天文。俯以察於地理。是故知幽明之故。」[易は天地と準(なぞら)う。故に能く天地の道を弥(び)綸(りん)す。仰(あお)いで以て天文を観、俯(ふ)して以て地理を察す。是の故に幽明の故(こと)を知る。] を典拠にしています。また、王羲之が詠んだ蘭亭詩の中の五言詩には「仰望碧天際 俯磐緑水浜」という似た表現があり、王羲之の老荘思想を根底にした解脱、達観の心境を読み取ることができます。今回の作品は、その「解脱・達観」に「気満・清澈」のイメージを加えた表現を試みたものです。

仰ぎては宇宙の大なるを観、俯しては品類の盛んなるを察す

仰観宇宙之大 俯察品類之盛〈蘭亭序)     63㎜×63㎜