戦国中山王圓鼎を習う(25)「氏(是)従天降」

「氏」(是):字通には「小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐に与(あずか)るものが氏族員であったので、氏族の意となる。」とあります。氏の音は是と近いため通用します。ただ、段玉裁が是を氏の本字とする点については、「是」は匙(さじ)の形で小刀である「氏」の形状と異なっており本字とするには否定的です。渦巻きの部分と縦画の肥点の位置を揃えて書きます。

「従」:行人偏が省略された形ですが、「従」と同じです。行人偏と「止」を合わせると「辶」になりますが、行人偏と「止」の何れかを略して書くことはよく見られることです。

「天」:3回目の登場となります。両腕はあまり下がらないようにして書きます。拙臨はやや下がってしまいました。

「降」:こざと偏は神が天上から降りる際の梯(はしご)で旁は両足が下向きで上下に並べられています。これとは逆に、神が天上へのぼる場合は、こざと偏と上向きになった両足になります。それが「陟」(ちょく・のぼる)です。この字形は、神梯の足をかける段をコンパクトにまとめ、かつ斜線にすることで旁の斜線とともに右下へのベクトルを演出しています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(24)「智隹俌母」

「智」:字通からそのまま引用すると、「字の初形は矢(し)+干(かん)+口。矢と干(盾)とは誓約のときに用いる聖器。口は(さい)その誓約を収めた器。曰(えつ)は中にその誓約があることを示す形。その誓約を明らかにし、これに従うことを智という。知に対して名詞的な語である」とあります。「矢」の長く伸びた尖頭と「干」の伸びやかな脚を強調します。

「隹」:既出です。羽にあたる4本の画を詰め、ほぼ水平にして書きます。長脚と右の弧のバランスをとることが難しいところです。

「俌」:人偏と「甫」からなり、補佐をする人の意を持つ「傅」と同じです。「甫」は苗木の根を立てて囲い守る形。声符の尃(ふ)も若木の根を包んで植え付ける形で、ものを援助する意があります。旁の苗木の根の部分に短い横画が入ったように見える拓もあるようですが、それは必要ないものなので書きません。

「㑄」:人偏と「母」からなりますが、赤塚忠は「母に人偏をつけたのは職名であることを示そうとしたものか」と推測しています。「俌㑄」は「傅母」つまり姆(うば)のことで、守り役の女か保母にあたるものです。「俌」、「㑄」いずれも偏旁ともに長脚を持つ場合は、偏旁の長さをほぼ揃えて書くようです。

 

戦国中山王圓鼎を習う(23)「幼僮未通」

「幼」:音符「幽」と「子」からなります。諸家は幽・幼は同じ声系によって「幼」の意を持つ字としています。ただ、按ずるに、これを「小」と「子」のように、「幽」と「子」の合文と考えることもできるような気がします。つまり、下の「僮」を未熟なる僕(しもべ)の意として、「幼子なる僮」という具合です。「幽」の糸かせの丸は小さめに、「子」と中心上に並ぶ様に配置します。

「僮」:「立」と「重」からなりますが、「重」と「童」はよく互易(入れ換えること)し、「わかもの、しもべ、おろか」の意を持つ「僮」(どう)であるとされています。偏旁から構成される場合は、どちらかを上下にずらすことが一般的ですが、この字では珍しく共に拮抗させています。

「未」:木の枝葉が成長し茂りゆく様です。上下にすらりと伸ばす線が強烈な印象を与えています。縦画に肥点が入ります。

「通」:上部に引っ掛けるところがある筒形の器「甬」の形で、桶の初文です。ここでは同声である「通」の意となります。中央の弧はあまり右に膨らませすぎないように書かないと、右の画のバランスが崩れます。

戦国中山王圓鼎を習う(22)「群臣寡人」

「群」:声符の「君」と「羊」からなります。羊は群れる習性があります。鹿も同様で、鹿科で角が小さい「麇」(くん・のろ)を含む「攈」(くん)も集まる意を持ちます。「君」は既に出てきましたが、「口」(さい)の横画が欠落しています。器面の接写画像によっても刻し忘れた可能性が高いようです。

「臣」:目を大きく開いて上を見上げる様。眼球の部分をコンパクトにして下方に集め、上方に伸びる構成をとっています。中山国の篆書は長脚を基本としますが、この「臣」のように上体を伸びやかにみせるものとして、他には「以」、「亡(無)」などがあります。

「寡」:字形そのものは「頁」で、4つの画は飾りです。詳しくは第5回(5)を参照して下さい。

「人」:4回目の登場です。縦画は垂直に、2行目の中心に合わせると全体が安定します。

 

戦国中山王圓鼎を習う(21)「成王暴棄」

「成」:戈(か)に垂れ飾りをあらわす|(こん)を加えた形。青銅器が完成した際に、綏飾(すいしょく・縦飾りのこと)を加えてお祓いをする意で、そこから成就の意となります。右上の画を天上から伸びやかに下ろして戈の柄の部分に接合させます。その柄の上部は左からやはり弧を描いて書く字例もあります。

「王」:縦画の中央がやや膨らんでいますが、肥点とは異なるようです。

「暴」:諸氏が「早」とし、白川静も従っています。しかし、「早」は匙の形で、活字の縦画はその柄にあたりますが、ここではその柄がありません。また、円鼎銘文中には「是(寔)」があり、それは柄のついた「早」と「止」に従っています。李学勤はこの字形を「早」であるとし、「日」と「早」に通じる音符「棗」(そう)とからなるとしています。しかしながら、字形から判断するかぎりにおいて、「朿」(し)ではなく、「來」を上下に重ねて構成されています。一方で、「早」ではなく「暴」であるという説もあります。「暴」の古い字形はありませんが、説文には米に従うとあり、この点も首肯できません。案じるに、この字は「日」に「來」(麦)をさらす象の「暴」(白川説は獣の屍をさらす象)であり、麦(ばく)の省形「來」が音を継ぎ、「にわか・たちまち」の意を持つ字だと思います。

「棄」:古い字形は、出生のときの子(金文では倒形になる)と柄のついた箕と両手からなります。ここでは箕の部分が略されています。また、中山国の篆書では、両手を表す「共」が含まれる字の場合に両手の間に2本の横画を入れて書きます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(20)「者吾先考」

「者」:2度目の登場です。上部V字形に接する点は下中央の縦画の位置に近づけるとバランスが良くなります。

「吾」:「虍」と「魚」からなる字です。音が「ご・ぎょ」で「吾」の音に通じます。「魚」の脇をぎゅと締めたスリムな体型にします。魚の中央に肥点が入ります。「戦国中山三器銘文図像」はその肥点を忘れているようです。

「先」:之(し)と人からなる字。之は趾(あしあと)の形。これをあえて人の上にしるし強調して、先に行くことを表します。「止」の横画の起筆は湾曲する左の画より左に長くしないようにします。

「考」:声符は曲刀である「丂」(こう)。上部は頭髪の長く伸びた様。その下は人の体で、右の長い画が胴体と脚にあたるものであるから、本来、続けて書くべきものです。ちなみに、この「考」字の「丂」には肥点が入っていませんが、中山三器には他に3例の「考」があり、そのいずれにも肥点が入っています。肥点の有無は表現上の揺らぎなのか、あるいは単に忘れただけなのでしょうか。

戦国中山王圓鼎を習う(19)「小子(少)君乎昔」

「小子(少)」:「小」と「子」の合文。金文に良く出てくる慣用語で、謙遜の意で用いたり第3者の立場からは侮蔑の意で用いることもあり得ます。李学勤はこれを「少」(幼少の意)と解釈しました。「少」は「小」と同様に貝や玉粒を綴る形といわれています。「小」との違いは「少」の金文に粒を綴っているような線が加わっていることです。この「小子」は燕の即位間もない昭王を指しているのですが、果たして幼少であったかどうかは疑わしく、「小子」そのままに侮蔑を込めた表現との説があります。左右の渦巻きを書くのはとても難しいものです。何度かふれましたが、回転を伴う画は筆を立て微妙に上下を繰り返しながら運筆することが肝要です。

「君」:2度目の登場です。筆順はまず平仮名の「こ」のように書き、中央の横画、左右の脚という順で書きました。内部の器(さい)は少々太ってしまいました。

「虖」:これも2度目となります。「虖」は「乎」に通じる繁文です。字通を引用すれば、「声符は乎(こ)。乎は遊舌のある鳴子板で、神事のときこれを鳴らして神をよんだ。虖は虎頭の形に従い、神事の際の意を示したものであろう。金文に「烏虖(ああ)」のように感動詞に用いる。」とあります。字形は、右上から左下へ大きく展開する流れをふまえつつ、その他の画を中央にコンパクトに集めます。

「昔」:これもまた2度目ですが、すでに2回目の「王□(さく)」にも含まれていました。縦には3つの部分から構成されることを意識して書くと良いと思います。

戦国中山王圓鼎を習う(18)「而皇在於」

「而」:前出のものより両腕を長めに両脚に寄り添わせます。中央の縦画はやや細めにします。

「皇」:鉞(まさかり)の形である「王」の上部に玉飾を加えている形です。古い字形では、上2本の横画を寄せるのが「王」で、等間隔にするのは「玉」となります。鉞の刃部を下にして玉座におき、王位の象徴とするようです。上の縦画と下の縦画を中心に揃えることが大切です。

「在」:標木に祝詞を収めた器をかけている形「才」で、中央の▽の部分がその器になります。「在」は「才」とやはり鉞をあらわす「士」からなり、「才」は「在」の初文になります。縦画を垂直にすることと、横画の位置、三角の大きさをどうするかで善し悪しが決まります。

「於」:既出です。左側、縦に3つ並ぶ巻き上げる線と右下への伸びやかな線のベクトルを調和させるよう配慮します。

戦国中山王圓鼎を習う(17)「爲天下戮」

「爲」:既出です。右側の腰のあたりの渦巻き文様による装飾的表現が中山篆書の特徴の一つです。筆を垂直にして運筆することで側筆を避けることができます。

「天」:前出のものより、最上部の横画を短く小さめにしたことで、懐が澄んだ張りのある佇まいになりました。

「下」:これも、前出のものより最上部の横画を短くしてより長身な姿にしています。縦画を垂直に紙を刻むように運筆します。

「戮」:頭部の一部と胸などの残骨の形である「歺」(がつ)と両翼と尾羽の形である「翏」(りょう)からなる「戮」(りく)の異体字で、誅殺されることをいいます。「為天下戮」(天下の戮となる)は戦国時代の常套的表現です。この字形には歪みがみられます。器は曲面ですし拓の状態や編集上の貼り付け方で微妙な違いが生じることを勘案し、他の同字を参照しながら習う必要があります。

戦国中山王圓鼎を習う(16)「而亡其邦」

「而」:字通を引用すると、「頭髪を切って、結髪をしない人の正面形。雨乞いをするときの巫女(ふじょ)の姿で、需とは雨を需(もと)め、需(ま)つことを示す字で、雨と、巫女の形である而とに従う。」となります。シンメトリックな姿になるようするのは意外と難しいものです。脚の分間に気をつけます。

「亡」:「辶」と「亡」からなる「亡」の異体字です。「亡」は死者の体を折り曲げた屈葬の姿。頭髪が残る様が「巟」(こう)です。なお、「无」は亡の異体字となります。ここでは「ほろぼす」意で用いられています。「亡」の字形には下部の小さな扇の中に短い横画を加えるものもあります。縦画の中央に肥点が入っているように見える拓もありますが、器面接写画像で確認すると、肥点に見える部分は縦画の線際が明瞭に残っているので傷と思われます。

「其」:既出です。箕籠の網の部分は「又」字のように書くこともあるようです。

「邦」:声符である(ほう)は「夆」の下部にあたるもので、禾の穂が高く伸びる様。「邦」は説文に「國なり」とあります。金文の字形は土主の上に若木を植えて社樹を示し、邑を加えて邦を建設する意となる字です。