戦国中山王圓鼎を習う(32)「右寡人使」

「右」:ここでは「佑」の意で用いています。前の字「左」と合わせた「左右」が「佐佑」(補助)する意となります。

「寡」:登場は3度目となります。最終の縦画はほぼ中心に据えます。

「人」:5回目です。人偏を使う字でも「信」の場合は、子を身ごもった姿である「身」を用います。

「使」:「辶」と「吏」からなりますが、「使」の異体字です。前述したように、行人偏と「止」からなる字は、そのどちらかを略す場合があります。

戦国中山王圓鼎を習う(31)「天德以左」

「天」:4回目となります。第1画は短めに、両脚への分岐点の位置は下げすぎないように書きます。

「德」:彳(てき)と直と心からの構成。「直」は「省」と匿(かく)し隔てるものを表す「乚」(いん)からなります。「心」は初期のものにはなく、後に入りました。声符は悳(とく)。省は目に呪飾を加えて視察することで、諸地を巡行視察するので「彳」を加えています。呪念を伴う行為なので心が加わり、やがて徳性の意を持つようになりました。「乚」の部分は「直」の周囲を包み込むように巡らします。拙臨はやや離れ気味になってしまいました。
中山国篆書の特異ともいえる優れた造形性を備えた字の一つです。

「厶」(以・㠯):「厶」(し)は農耕で用いる耜(すき)の形。上部を伸びやかにして下部に重心を置きます。

「左」:「豸」(ち)と声符「差」(さ)からなり、「左」の仮借となります。「豸」は獣の形。「差」は「禾」と「左」(「右」の場合もある)からなり、神へ収穫した穀物を差(すす)めて祀る意です。この字の次にある「右」と合わせて「左右」となり補佐をする意になります。上部をゆったりさせ、逆に下部を緊密にして逆三角形の構成をとっています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(30)「率仁敬訓(順)」

「率」:形としては「䢦」となっています。説文にある字で「先導するなり」とある他、「従う」や「ことごとく」などの意もあります。活字「率」の字形は糸束をねじって絞る形で、周囲の4点は絞り出された水を表しています。横画が2本ありますが、これは絞るために糸束の上下に入れた横棒ですが、金文には横棒がないものが多いようです。しんにょうの「止」の2画が接するところが旁の中心です。

「仁」:「二」をお尻の下に置く形は説文に古文として出てきます。「仁」が西周金文にて触れられることはなく、戦国中山国で登場する概念として貴重な意味を持つと言われています。4本の横画を中央に集め、上下に広く空間をとります。

「敬」:偏は古代中国の西北地方にいた羊を飼う遊牧民族「羌」の側に祝詞を収める器が置かれた形。旁はそれを撃っていましめるための木の枝のようなものです。羊の角を長く、頭を小さくまとめます。

「訓」(順):前出の字です。「川」と「心」からなる「訓」とされる字です。「順」の意を持ちます。心の横画はあまり下に膨らまないようにして書きます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(29)「克卑亡不」

「克」:「克」と「又」から構成されていますが、「克」の意となります。前回に続いての登場です。「克」は木を彫り刻む器の形で、上部は把手、下は曲刀の形。左に垂れ下がった部分が曲刀の刃にあたります。

「卑」(俾):「卑」はひしゃくの柄を持つ形です。左側を揃えて書き、柄が右下に伸びる様を強調します。前回からの続きとして、「克順克俾」(よく順にしてよくしたがひ)と読みます。李学勤は『詩経』皇矣篇にある「克順克比」を引用したものが『礼記』楽記篇に「克順克俾」となっていることを指摘しています。漢代魯の學者であった毛亨(もうこう)らが伝えた詩経の解説書「毛伝」には「慈和にして遍(あまね)く服するを順といひ、善を択(えら)んで従ふを比といふ」とあります。

「亡」(無):屈葬による残骨の形です。前回は辶が入った形でした。死者の残骨の形としては他にも「乏」、「巟」(こう、頭髪の存する象)などがあります。「臣」と同様に下部に重心を置いて上部の伸びやかさを強調します。

「不」:2度目となります。花のがくふの膨らみ部分を極端に小さくして下方へのベクトルを際立たせます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(28)「臣貯克訓」

「臣」:登場は2回目です。別の中山三器の円壺では概して怱卒な結体となっていますが、その中の「臣」だけは中央の眼球を貫く形になっています。

「貯」:この字の特定については諸説あります。李学勤は「周」の省形と「貝」からなる「賙」(しゅう)で、中山国の相邦(職名で相国ともいう)であった司馬憙のことであるとしています。白川静もそれに従っていますが、恐れながら、諸家の説の経緯を参照した上で、私は少々異なる見解を持っています。これについては2017年9月16日、河北省石家荘市における中山国文化研究会において発表したパワーポイントによる資料を既にフェイスブックならびにホームページに出してありますので、ご興味のある方はご覧ください。

「克」:字形は「克」と「又」からなっており、赤塚忠は「克」の意を持つことは間違いなく、「剋」の異体字の可能性があるとしています。「又」を加えるものには他に「祖」の例があります。

「訓」(順):この字も活字にはないようです。音符の「川」と意符の「心」からなります。戦国に至ると「言」に従うものと「心」に従う2系に分かれ、郭店楚簡にはその両方がみられます。諸家は「訓」の異体字としてしているようです。「心」を構成素に加えたり変更したりする例としては、他に「労」があります。「訓」は古くは「順」(したがう)の意で用いていました。他の同字とくらべるとやや脚が短いので修正を施しています。  

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(27)「邦又(有)厥忠」

「邦」:2度目です。声符である「丰」(ほう)は神木の苗木を植えて育てる象や実った禾(いね)などの象。旁は「邑」で、国を建てることをいいます。中山篆には「丰」の下に地面を示す字形もあります。偏の肥点は中央より若干上に、旁の折り返す部分の位置にほぼ揃えて書きます。

「又」:右手の形を金文では「右」や「有」、「佑」などの意で用います。「有」は甲骨では「㞢」や「又」の形になりますが、金文では「肉」(月)を添えるものもあります。中山篆では「有」の基本構造は「又」、渦巻きの部分は飾りとみて良いと思います。一方、中山篆の「右」は「又」と「口」(さい)からなります。

「氒」(厥):「氒」(けつ)は甲骨と金文で「氒(そ)の(徳)は…」などのように用い、文献では「厥」の字をあてます。このように諸家はこの字を「氒」(けつ)の形としていますが、この活字体の形は実際の形を反映していません。同音の「夬」(けつ、ゆがけ)との関係も気になるところです。

「忠」:中(ちゆう)が声符で、説文に「慎(つつし)むなり」とあって、心を尽くすことをいいます。「心」の左右に広げる画を褶曲させるところが難しいところです。

戦国中山王圓鼎を習う(26)「休命于朕」

「休」:現在の常用漢字では「人+木」となっていますが、画像の通り「木」ではなく「禾」が本来の形です。「禾」は軍門として左右に並べて立てる柱です。その柱の前で、軍功のあった人を表彰することを「休」と言います。人偏が少し傾いている拓影がありますが、拓の取り方、トリミング、しかも器は曲面であることなどの問題があり、基本的には垂直にした方がよいと思います。

「命」:礼冠をつけて跪き神意を聞く人の形である「令」と、祝祷を入れる器「口」(さい)からなります。「卩」の折り返す位置に「口」(さい)を載せ、垂直な脚を中心から僅かに右へ配置します。

「于」:前出のものより、3画目最初を垂直に2画目の横画の下まで引きます。

「朕」:偏はもと水盤類の器をあらわす「舟」で、旁は両手で奉ずる形の「关」(そう)です。拓影では「舟」が下まで伸びてバランスが崩れていますが、修正の上,下を空けて書きます。実際、別の「朕」ではそのようにしています。

戦国中山王圓鼎を習う(25)「氏(是)従天降」

「氏」(是):字通には「小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐に与(あずか)るものが氏族員であったので、氏族の意となる。」とあります。氏の音は是と近いため通用します。ただ、段玉裁が是を氏の本字とする点については、「是」は匙(さじ)の形で小刀である「氏」の形状と異なっており本字とするには否定的です。渦巻きの部分と縦画の肥点の位置を揃えて書きます。

「従」:行人偏が省略された形ですが、「従」と同じです。行人偏と「止」を合わせると「辶」になりますが、行人偏と「止」の何れかを略して書くことはよく見られることです。

「天」:3回目の登場となります。両腕はあまり下がらないようにして書きます。拙臨はやや下がってしまいました。

「降」:こざと偏は神が天上から降りる際の梯(はしご)で旁は両足が下向きで上下に並べられています。これとは逆に、神が天上へのぼる場合は、こざと偏と上向きになった両足になります。それが「陟」(ちょく・のぼる)です。この字形は、神梯の足をかける段をコンパクトにまとめ、かつ斜線にすることで旁の斜線とともに右下へのベクトルを演出しています。

 

戦国中山王圓鼎を習う(24)「智隹俌母」

「智」:字通からそのまま引用すると、「字の初形は矢(し)+干(かん)+口。矢と干(盾)とは誓約のときに用いる聖器。口は(さい)その誓約を収めた器。曰(えつ)は中にその誓約があることを示す形。その誓約を明らかにし、これに従うことを智という。知に対して名詞的な語である」とあります。「矢」の長く伸びた尖頭と「干」の伸びやかな脚を強調します。

「隹」:既出です。羽にあたる4本の画を詰め、ほぼ水平にして書きます。長脚と右の弧のバランスをとることが難しいところです。

「俌」:人偏と「甫」からなり、補佐をする人の意を持つ「傅」と同じです。「甫」は苗木の根を立てて囲い守る形。声符の尃(ふ)も若木の根を包んで植え付ける形で、ものを援助する意があります。旁の苗木の根の部分に短い横画が入ったように見える拓もあるようですが、それは必要ないものなので書きません。

「㑄」:人偏と「母」からなりますが、赤塚忠は「母に人偏をつけたのは職名であることを示そうとしたものか」と推測しています。「俌㑄」は「傅母」つまり姆(うば)のことで、守り役の女か保母にあたるものです。「俌」、「㑄」いずれも偏旁ともに長脚を持つ場合は、偏旁の長さをほぼ揃えて書くようです。

 

戦国中山王圓鼎を習う(23)「幼僮未通」

「幼」:音符「幽」と「子」からなります。諸家は幽・幼は同じ声系によって「幼」の意を持つ字としています。ただ、按ずるに、これを「小」と「子」のように、「幽」と「子」の合文と考えることもできるような気がします。つまり、下の「僮」を未熟なる僕(しもべ)の意として、「幼子なる僮」という具合です。「幽」の糸かせの丸は小さめに、「子」と中心上に並ぶ様に配置します。

「僮」:「立」と「重」からなりますが、「重」と「童」はよく互易(入れ換えること)し、「わかもの、しもべ、おろか」の意を持つ「僮」(どう)であるとされています。偏旁から構成される場合は、どちらかを上下にずらすことが一般的ですが、この字では珍しく共に拮抗させています。

「未」:木の枝葉が成長し茂りゆく様です。上下にすらりと伸ばす線が強烈な印象を与えています。縦画に肥点が入ります。

「通」:上部に引っ掛けるところがある筒形の器「甬」の形で、桶の初文です。ここでは同声である「通」の意となります。中央の弧はあまり右に膨らませすぎないように書かないと、右の画のバランスが崩れます。