「師古遊心」をテーマとした作品です。

「師の影を追わず、師の求めたるを索む。師の求めたるは古典なり。なれば師を古典に求む。」これは高校教師だった時に常々生徒らに伝えてきたこと。実はそれ己の戒め。爾来「師古遊心」に到る。

「師古遊心」をテーマにした作品3点。書は中山国の篆書に拠るもの。篆刻は甲骨文と古璽に拠りました。ご高覧いただければ幸いです。

師古遊心
35㎝×132㎝
師古遊心(甲骨文)
19㎜×37㎜
師古遊心(古璽)
23㎜×23㎜

1月7日の投稿に続き「執大象」をテーマとする作品です。

前回は戦国中期の《郭店楚簡》に倣った書作品をご紹介しましたが、今回は楷書の作品と篆刻2貌のご高覧をお願いいたします。

楷書作品。これは伊藤伸先生の遺風を回想しながら書いたものです。伊藤先生は西川寧門下にあって将来を嘱望された天才。西川門下の系流の後継と目されていただけに、不慮の怪我による夭折は書道界の大きな損失でした。わが栃木県の出身である先生が県下随一の進学校である宇都宮高校に通っていたころ、志高一念発起して西川寧の門を敲いたと聞いています。その宇都宮高校で書道教師として最後の教鞭をとった私にとっても、どこか惹きつけられる大きな存在となっていました。高校教師となったばかりの頃は、伊藤先生が指導された筑波大学での開放講座に通い、直にご指導をいただいたこともあり、今では懐かしく貴重な思い出となっています。

書のダンディズムといえば、青山杉雨先生を思い浮かべる方が多いと思いますが、私は既に伊藤伸先生が実践されていた気がします。その伊藤先生がとりわけ精通していた北魏書の世界。西川寧とはまた別の、繊細で知的な感性を髣髴とする展開。是非、これからの書壇に受け継がれていくことを願っています。

執大象(書)
35㎝×75㎝

執大象(甲骨)
38㎜×39㎜
執大象(郭店楚簡)
56㎜×54㎜

秦代の竹簡《里耶秦簡》の臨書と、それに取材した篆刻作品「大観騰陵」です。

《里耶秦簡》は2002年、湖南省竜山県里耶古城跡から発見された秦代の竹簡です。細密でありながら暢びやかで美しい結構と卓越した筆力を有する優品です。

私は作品制作の基本姿勢として『師古遊心』を大切にしたいと考えています。師は俗世の師ではなく、不易な価値を有する古典群です。

この里耶秦簡を『師』ととらえ、その美に『心を遊ばしめる』篆刻作品をと考えたものです。臨書作品とともにご高覧をお願いいたします。

臨里耶秦簡
204㎝×68㎝

大観騰陵
74㎜×50㎜

《祀三公山碑》に関して追加投稿です。

1月3日に投稿した《祀三公山碑》に関して、多くの方から関心を寄せていただきましたので、一行目行尾の「後、□惟」の□について、思い出したことを少し補足します。

この前後の碑文は、「…承饑衰之後、□惟三公御語山…」

大まかな意味は(この地が干魃による饑饉を承けて衰頽した後、馮氏は当地の奥地にある三公御語山の荒廃を深く愁い、かつてそこに祀っていた雨の神を別の山に召霊して祀り、降雨をもたらした。)となるであろうか。(拙訳)

この □ を識者は、①恭  ②敬  ③深 などとしていているが断定には至っていない。そこで、

(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)

(2)上海図書館蔵本(熹字不損本)

(3)家蔵本

の三種をもとに総合的に検証してみた。

(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)

おわかりの通り、問題の字に収蔵印が鈐印してある。残念ながら、これでは字形を確かめるのに支障が生じてしまう。まさにこれは拓の真価を貶める行為で不見識の誹りを免れない。

飲氷室蔵本「深」
収蔵印「梁啓超」を字画の上に鈐すのは不見識と言わざるをえない。果たしてこの印は本人が鈐印したものであろうか。

(2)上海図書館蔵本(熹字不損)

拓調は明瞭である。しかし、この上海図書館蔵本は旧拓に見せかけ字画を蘇らせるための塡墨の跡が散見されるので注意が必要である。

上海図書館蔵本「深」
この拓は拓調が明瞭であるが塡墨が散見されるもので注意が必要。

(3)家蔵本

家蔵本は塡墨や描画の跡は認められないが、墨が厚く、点画に入り込んで潰している可能性も考慮する必要がある。

家蔵本「深」

[結論] 

まず、残された線条を基とすると、「恭」と「敬」はありえない。それらの字形にあてはまる痕跡が見当たらないのである。
※(上海図書館蔵本と家蔵本によれば「恭」と見なせなくもなく、千字文「恭惟鞠養」(うやうやしく鞠養をおもう)などの用例もある。しかし、飲氷室蔵本によってその可能性は低いとみる)恐らくは、両字共に※(特に「敬」字については)文意に沿う字を優先して充てがった嫌いがある。偏にあたると推定される部分は「さんずい」「立心偏」「手偏」「やまいだれ」などが考えられるがどれも確実なものではない。旁と推定される部分は「穼(しん)」を推測させる。断定は難しいが、嵩山少室石闕銘などとも比較した上で、私はこれを「深」と推定したい。三種の拓のうち、飲氷室蔵本の採拓は繊細で墨を敲き過ぎず「さんずい」の結構を最も良くとどめている。「深惟」の用語は、《戰國策·韓策一》や《史記·太史公自序》に求めることができる。深く憂慮する意であると思う。
※( )の記述は最初の投稿後に加えた補筆

 

上海図書館蔵本(上海書画出版社刊)に添えたメモ。
塡墨が散見される拓なので注意が必要。

家蔵《封龍山頌拓》延熹7年(164年)を紹介いたします。

《祀三公山碑拓》に続いて、家蔵拓から元氏5碑の一つ《封龍山頌》原拓を紹介します。

二玄社刊『書跡名品叢刊』の松井如流の解説の中に、楊守敬は著書『激素飛清閣平碑記』に「雄偉勁健」(雄々しく立派で力強い様)と評し、中村不折は「…実に気魄の雄大なものである。其の上、此の頃のものとしては古雅の点に於て、他の碑を圧して居る。…之を以て禮器碑の厳格なるに対し、却って此の碑の廓然たる自然味を愛するものが多いのである。亦漢石中の神品というべきである」と讃嘆したとある。確かに、古穆悠然として滋味溢れる風姿には、書人を惹きつけてやまない魅力がある。

家蔵拓は、13行目の「穡民用章」の「章」が欠損しているものの、15行目(松井如流氏は14行と誤っている)の「韓林」の「韓」を存す亜旧拓である。なお、この原石は既に失われているようだ。そのあたりの消息を上海書畫出版社刊「中國碑帖名品 封龍山頌」では次のように記している。

「道光二十七年(一八四七)十一月,元氏知县刘宝楠发现于河北元氏西北四十五里的王村山下,即命工移置城中文清书院。运工嫌其沉重,乃截裂为二,后虽经嵌合,但裂纹清晰可见。此碑民国时尚在文清书院,今又佚。」

封龍山頌(全景)
封龍山頌(部分1)
封龍山頌(部分2)

 

久しぶりにコレクションのページに追加しました。旧拓《祀三公山碑拓》

久しぶりにコレクションのページに追加しました。旧拓《祀三公山碑拓》

祀三公山碑拓(全景)[家蔵]
祀三公山碑拓(冒頭)
祀三公山碑拓(右行尾)

祀三公山碑はこの部分が重要で、新拓は大きく欠損しています。「惟」の立心偏が小篆のような姿態をとっているのはユニークですね。一行目の下から二番目の字。これを何と判断するか。偏は手偏にもさんずいにも見える。下の「惟」の立心偏を敢えて小篆風に変化させたと考えれば、これも立心偏と見ることさえできるかもしれない。

祀三公山碑拓(前半行尾)