「與人忠」

《論語》子路第十三「居處恭執事敬與人忠」から3つ目です。

人と與(まじわ)るに忠。 「與」は「ともにする・あずかる・あたえる」などの意を持ちます。「まじわる」は「ともにする」と同系意です。字形は象牙が2本組み合わさった貴重なものと思われるものが、4本の手によって捧げられています。共同で大切に扱う様から「ともにする」意となるわけです。また、さらに下に手を加えたのが「擧」で、挙げ運ぶ象です。「忠」は「中」と「心」からなり、「まごころ・まこと・ただしい・つつしむ・こころをつくす」などの意があります。「中」の意は「なか・うち・たいら・ただしい・あたる」などとなります。なお、この「中」の字形は旗竿の象とされているのですが、口形が「史・事」などのように祝告の器(「さい」)であるかは甲骨の字形に2系あってなお判然としないようです。

拙刻は、小篆の艶やかな動きを生かそうとした表現です。

與人忠
40㎜×40㎜

「執事敬」

《論語》子路第十三「居處恭、執事敬、與人忠。」から2つ目。「事(こと)を執(と)りては敬」。事をなすにあたってはつつしみを以てす。甲骨文の直線的なフォルムを半円郭による曲線で包む構成です。

執事敬
50㎜×28㎜

「居處恭」 

前回は《論語》子路第十三より「居處恭執事敬與人忠」を刻した印を取り上げましたが、今回は、これを三つに分刻したものを紹介していきます。

まずは、「居處恭」。居処は恭と読み、家では恭しくする意。書体は金文体です。恭の金文形である「龔」は「龍」の形をした玉などの呪器を奉ずる形で、恭敬の意を含みます。また、金文には巫女をあらわす「兄」が添えられている字形もあります。

居處恭
48㎜×39㎜

 

「居處恭執事敬與人忠」 《論語》子路第十三

《論語》子路第十三から「居處恭執事敬與人忠」を刻しました。「樊遅問仁。子曰、居處恭、執事敬、與人忠、雖之夷狄、不可棄也。」樊遅(はんち)、仁を問う。子曰わく、居処(きょしょ)は恭(きょう)に、事(こと)を執(と)りて敬に、人に与(まじわ)りて忠なること、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖(いえど)も、棄(す)つるべからざるなり。訳は、「樊遅(はんち)が仁について尋ねました。孔子は、
「家では恭しく、仕事では慎重に、人々に対しては誠実に振る舞いなさい。これらは例え未開の地へ行ったとしても忘れてはならない事だ。」
と答えられました。」 

弟子の樊遅が最高の徳とされる「仁」について孔子に問うている件です。

印篆を基調にしましたが、あまり古色を加えずに仕上げとしました。

居處恭執事敬與人忠
57㎜×56㎜

「無欲観妙」 《老子》第一章

今回も「観」字を含む拙刻を取り上げてみます。

《老子》第一章、「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」より「故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼」(常に無欲な心をもってすれば、万物に潜む深遠な姿を見る事ができるが、欲にとらわれていると目に見える現象面しか見えない)の部分に着目し、「無欲観妙」を刻しました。

「妙」字は玉篇では「玅」に作り、馬王堆帛書では「妙」と通じる「眇」に書いています。

無欲観妙
56㎜×47㎜

「観星」引首印

論語為政篇に「子曰。為政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。」(読み:子曰く、政を為すに徳を以てするは、たとへば北辰其の所に居りて、衆星の之にむかふが如し、と。)とあります。天空遙か取り巻く衆星の中心にあってその立ち位置を揺るがせにせず、常に光を発し続ける北極星は航海の重要な指標です。

「観星」でいう星とはその北極星のことであり、また、不易なる価値と品格を有す先賢古典群を指します。「観星」の印はすでに私が主宰する観星楼書道篆刻研究院のロゴとしても使っているのですが、あえて同じ語「観星」での引首印をとのご依頼によるものです。二つを並べてみました。

観星
24㎜×12㎜
観星 53㎜×54㎜

「弘麗温雅」(出典:『漢書』揚雄傳)

『漢書』揚雄伝上には、「是の時に先んじ、蜀に司馬相如有り。賦を作ること甚だ弘麗温雅なり。雄、心に之れを壯とし、賦を作る毎に、常に之れに擬して以て式と爲す。」とあります。

「弘麗温雅」の弘麗とは、「弘」が大いなる様ですから、すぐれて華麗であることをいいます。また、「弘」にはひろめる意もありますから、「麗」を周囲に伝播し影響を与える様とも解釈できます。そして温雅とは穏やかでうるわしいこと。『漢書』では、蜀の司馬相如が詠む賦の素晴らしさを評したくだりの句ですが、人物を評する表現としても良いと思います。

また、関連して『後漢書』周栄伝には、「臣伏して惟(おも)ふに、古者(いにしへ)帝王、號令する所有り、言は必ず弘雅、辭は必ず温麗、後世に垂れ、典經に列す。」と似た表現もあります。弘雅とは高雅のことです。

雅印を兼ねる成語印とのご依頼。姓名に「弘」字を含む依頼女史の印象から選んだ句です。

弘麗温雅
25㎜×25㎜

「獨泛扁舟」 (原采蘋詩「若津別廉叔」)

「獨泛扁舟」   独り扁舟を泛(うか)ぶ 

原采蘋(はらさいひん)(1798~1859)は、江馬細香・梁川紅蘭らとならぶ江戸後期の女流詩人。好酒、男装、帯刀で遊歴し、生涯独身を貫いています。江戸後期には、彼女を含め私が少なからず惹かれている三人の才女がいます。江馬細香の存在は、篆刻にも造詣が深かった頼山陽に興味を抱きその書幅や印譜を蒐集した頃に知りました。頼山陽が師弟の規を越えて彼女に強く惹かれていた姿に、私も次第に影響を受けるようになりました。大田垣蓮月はその艶やかで個性的な仮名に惹かれています。幸いにも、彼女が使用していたと思われる優雅な扇面が我が拙齋に帰しています。

今回紹介する印「獨泛扁舟」は原采蘋が詠んだ詩からとったもので、今の自分の心境に沁み入る句です。扁舟とは一艘(そう)の小さな舟のこと。原采蘋がいよいよ一人旅を始めたとき、広瀬淡窓の門下にあった和田廉叔のもとにしばらく滞在するのですが、「若津別廉叔」は若津港(故郷筑前の港)で和田廉叔と別れる時に詠んだもの。彼女の自筆本『西遊日歴』(晩年、母の病床を見舞うために江戸から帰郷した際の約2年間に及ぶ九州各地の遊歴記)の冒頭においていて、それは彼女の並々ならぬ覚悟を象徴する存在として位置づけていたように感じます。

「若津別廉叔」   若津にて和田廉叔に別る
徒惜解携到海灣   徒だ惜む 解きて携へ 海灣に到る
相看無語別願酸   相看て語無く 別願の酸
欲繡斯文豈容易   斯文を繡はんと欲すは、豈容易ならんや
獨泛扁舟渡碧瀾   獨り扁舟を泛べて碧瀾を渡る

※ 原采蘋に関しては、小谷喜久江「遊歴の漢詩人原采蘋の生涯と詩」            ― 孝と自我の狭間で ― を参考にさせていただきました。大変な労著で敬服に値する論文です。詳細に調べ上げた資料群を伴い、原采蘋の人間的魅力に迫る内容は、彼女をして主人公とするドラマ映画化を待望させるほどです。

 

書体は馬王堆帛書を基調としながらも、馬王堆に不足気味な躍動感を加味して表現しました。

獨泛扁舟
54㎜×48㎜

一字印「明」

今日ご覧いただくのも一字印。主に少字数の作品を発表されている書作家先生からのご依頼です。「明」は殷代甲骨文のフォルムを基調にして表現しました。「明」は本来、「朙」であって偏に当たる部分「囧(けい)」は竪穴式住居の窓を表しています。また、「窓」は正字が「窗」で、「朙」の偏「囧(けい)」と同様に「囱(そう)」が窓の形を表しています。

『字通』(白川静)によれば、「黄土層の地帯では地下に居室を作ることが多く、中央に方坑、その四方に横穴式の居室を作る。窓は方坑に面する一面のみで、そこから光をとる。光の入る所が神を迎えるところであった。この方坑の亞(亜)字形が明堂や墓坑の原型をなすものであったと考えられる。」とあります。

この一字印「明」は、月の光が窓に差し込む構図をイメージした作品です。

「明」
35㎜×35㎜
ヤオトン(中国・陝西省乾県)          大和ハウス工業(株)HPより

現代美術作家の雅印2 「裕」

昨日に続き現代美術作家の雅印をご紹介します。今回は私の友人でもある先生からのご依頼によるもので、「裕」一字印、書体は金文、大きさは25㎜角です。

「谷」の字形には二系あり、一つは谿谷の谷(こく)。谷の入口を表し、左右から迫る様を表す部分と谷口が低く∨字形に狭まった様を表す部分からなります。もう一つは、この「裕」に含む「谷」(よう)。先人の霊が彷彿としてその形容をあらわす様で、神気の現れる様を表す部分と白川漢字学の核心ともいえる祝詞を収める器「さい」から構成されています。「裕」とは衣裳に神気が纏う様を表している字です。

今回のデザインでこだわった点は、シンメトリックに近い字形に変化と躍動感を加えること、そして固定観念に囚われない辺縁(周囲の枠)の文字との一体化です。

雅印「裕」
25㎜×25㎜