戦国中山王圓鼎を習う(8)「施寧溺於」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「施」:諸氏は「也」の意としているものの旃(せん)の形をあてています。その理由を、李学勤氏の指摘である、漢代の儒者である戴徳が礼に関する古代文献を整理した『大戴礼記』武王踐阼篇の周の武王が万世に伝わる格言から自戒の銘を作ったとする件に、「盥盤之銘曰、与其溺於人也、寧溺於淵。溺於淵、猶可游也。溺於人、不可救也。(盥盤(かんばん)の銘に曰わく、其の人に溺れん与(より)は、寧ろ淵に溺れよ。淵に溺るるは、猶ほ游(およ)ぐ可きなり。人に溺るうは、救ふ可からざるなり)」によるところとしています。しかし、何故「也」に「旃」をあてたのか。適するものがないため近い字形をあてたと思いますが、中の部分は「旃」を構成する「冉」でも「丹」でもありません。むしろ「它」の変形とみるべきで、私は「」であると思います。「施」と「也」は音通するのです。 ちなみに、「施」の部首は「かたへん」となっていますが、屍を打つ象である「放」などとは異なり、旗竿の象を含む字ですから、部首はとして「はた」などの名称とするべきではないかと思います。

「寧」:字通によれば、宀(べん)+心+皿(べい)、丂(こう)からなる字で、丂(こう)がつかない寍も同字であるとしています。宀は廟所。皿上に犠牲の心臓をのせて祭り、寧静を求める儀礼の意です。中山国の篆書には丂(こう)の有無による2系のほか、宀(べん)を略したもの(方壺にあります)の合わせて3種があります。ここでの字形は、皿(べい)を簡略化したものとなっています。

「溺」:「しゃく」のさんずいの部分が傷んでいるために拓影が鮮明にでないものもあります。状態の良いものに拠って習うと良いと思います。

「於」:前述していますので参照して下さい。

 

戦国中山王圓鼎を習う(7)「其汋於人」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「其」:穀物の殻や塵を取り除くための器である箕(み)の形で、其が代名詞・副詞に用いられたために作られた箕の初文。下部は「典」と同様に物を載せるための机や台の形ですが、金文には両手で掲げる形となっているものもあります。

「汋」:ひしゃくの形「勺」を含む字ですが、ここでは音が近い「溺」の意で用いられています。「勺」の形は西周「伯公父勺」の銘文中にある「酌」で確認ができ、ひしゃく本体をあらわす部分とそれに盛られたものをまるい点であらわした部分からなります。下の部分は続けて巻き込むように書くのではなく、最後は点を打つようにして書きます。

「於」:拓によっては鳥の目にあたる部分が2つの点になっているようにみえるものがありますが、その上にあたるものは器面の傷か銹によるものです。

「人」:縦画の位置は、第一画の起点の位置よりも僅かに右に寄せます。線は切り刻む感じで運筆することが肝要です。

 

雅印「一吼」

久しぶりに最近刻した雅印をご紹介いたします。

「一吼」は、毎日書道展会員・独立書人団審査会員・栃木県独立書人団代表・栃木県書道連盟常任理事研修部長、書泉会代表などの任にあり、将来を嘱望されている斎藤一吼先生の雅号です。先生は独立書人団において表現領域を狭しとせず、優れた技術力と豊かな感性によって類稀で格調高い作品を発表し続けておられます。

この雅印は、先生の作風を念頭において制作したものです。奇抜に走らず、意識と感性を沈潜しつつ品格を醸し出すような氏の表現スタイルに沿えるようにと意図したものです。

 

「一吼」 35㎜×35㎜

 

戦国中山王圓鼎を習う(6)「人聞之蒦」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「人」:人の側身形です。まさに人偏の形をみることができます。筆順は甲骨文は最初に頭から腕、次に首から胴体および足とするのが多く、金文になると頭から胴体および足を最初にするものが多くなります。字形は、腕の先端より下の脚を長くします。

「聞」:甲骨文は跪いた人の側身形の耳を大きく強調した形です。聞は戦国期に至ってみえる字、声符である門は神廟の扉で、そこにおいて耳を傾け「神の音ずれ(訪れ)」を聞く意です。中山国の篆書は説文の重文にもありますが、「耳」と「昏」に従っています。この小刀で肉を切り分ける形である「昏」には古い字形に酒器である「爵」を含むものがあり、神の訪れの兆候を聞き取る儀式に関係しているのではないかと言われています。偏旁からなる字ですから、片方(この場合は旁)をすこし詰めて下部に空間を残します。

「之」:境界から一歩足を踏み出す形です。横画の上の部分は「止」で足跡の形で、左右相称に上下に配したものが「歩」となります。「歩」は「止」と「少」からなるのではありません。字形は、上部をスラリと伸びやかに書き、左2本の縦画の間隔を次第に狭くするように運筆します。

「蒦」:冠毛がある鳥を表す「雈」(かん)に又(手)を加えた、鳥占(とりうら)の意です。「蒦」には「こ」の音があって、それは「與」と近いことから「與」の意で用いられています。冠と隹と又の密な組み合わせですから、隹の横画の分間を詰めることが必要です。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(5)「不□□寡」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「不」:花の付け根の部分で、花弁や子房などを支える萼の形。しかし、その意で用いることはなく、打ち消しの意で用いています。萼本体の部分と左右斜めに落とす線を一体化するために2画をクロスさせています。▽の空間を小さくするのは長脚に見せるためです。

「□」:この字は「立」と音符となる「癹」からなります。「癹」は「發」の初文で白川静氏は「字通」でこれを「發」であるとしています。ただ、諸氏は音通より「悖」(音:はい、訓:もとる 、道理に逆らう)意で用いているとしているようです。作製した外字は図版を参照して下さい。はつがしらが幅をとるので偏旁を緊密にさせています。「立」の下は空け、旁の脚を強調させます。

「□」:これは「哉」の意で用いています。字形は「幺」を2並べたもの(音:よう)と「才」からなっています。「才」の横画の位置は5分の2ほどのところにします。

「寡」:「寡」の字形は戦国以前とそれ以後では2つの系統に分かれるようです。ここでの字形は戦国の楚簡の系統に近いもので、「頁」の左右に4つの画があります。おそらく、これら左右4つの画は「光」でもみられ、また「若」では右に2画添えるなど、いずれも装飾表現と思われます。ただ、「沬」(音:び、字形は水盤を返して頭から水をかけるさま)の金文にもこれと酷似したものがあります。その4つの画は水が飛び散る様だと思われますが、これらとの関連が気になるところです。なお、「寡」の小篆は「宀」(べん)と「頁」(けつ)と「分」から構成されていますが、「分」はこの小さな画と「頁」の足の部分を合わせたことによる訛謬だと考えられます。「寡」と「顧」は楚簡においては通用し、「顧」に同形が認められます。

 

戦国中山王圓鼎を習う(4)「曰於虖語」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「曰」:祝詞や盟誓を収める器の上部の一端が開けられた形。神意が示され確認する様。すらりと伸びる縦画は筆を立て、慎重に運筆することが求められます。

「於」:鳥を含む字形ですが、なお不明な点があります。西周金文にこの字形のもとになったと思われるものがあります。鳥の右脚を字の中央に配して書くとまとまりやすくなります。

「虖」:声符は「乎」で、神事の際に用いる鳴子板の形です。「虍」も音は「こ」となります。虎頭の飾りをつけていたか、虎が神事に関して意味をもっていたのかもしれません。左右の渦巻きは鳴子板の音を発生させる舌状の板を装飾化したものと思われます。上部から中央を切って左下へ展開する流れを意識して字形をまとめます。

「語」:声符の「吾」は祝詞を入れる器に板を交叉させた蓋を二重にのせています。これに対し、偏の「言」は祝詞を入れる器の上に入れ墨刑のための針「辛」を載せています。 白川静氏は、「言語と連称し、言は立誓による攻撃的な言語、語は防禦的な言語である」としています。 中山国の篆書では、偏旁ともに同じ大きさにせず、縦の長さを変えたり位置をずらしたりして長脚を強調させるようにします。

 

 

戦国中山王圓鼎を習う(3)「詐鼎于銘」

隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「詐」(乍・作):字通を引用すると、「声符は乍(さ)。〔説文〕三上に「欺くなり」…乍は木の枝をむりにまげて垣などを作る形で、作為の意がある。詐は言に従い、祈りや盟誓において詐欺の行為があることをいう。」とあります。ただ、ここでは、「乍(つくる)」に通じたものとして使っています。また、この「乍」の字形は底部右を閉じていますが、これは中山国独特のもので他には見られない形です。

「鼎」:本来は鼎の器形からなる字です。しかし、中山国の場合はむしろ「鼎」と通用する「貞」に近い形です。「貞」は「鼎」と「卜」を組み合わた、占う様を表わす字です。左右につく部分は鼎足の飾りと思われます。

「于」:曲がった形を作るためのそえ木の形、または刃の長い曲刀の形。卜文・金文の字形に、弓にそえ木をそえている形があります。湾曲部の位置は高めにして終筆に向けての伸びやかさを出すことが大切。

「銘」:「名」が声符。字通から引用すると、「名」は夕(肉)+口。口は祝禱を収める器。子が生まれて三月になると、家廟に告げる儀礼が行われ、そのとき名をつけたとあります。「夕」の終筆をくるりと丸めるのは中山国篆の特徴の一つです。筆軸を立てて書くことが肝要です。

 

戦国中山王圓鼎を習う(1)「隹十四年」

中山王円鼎銘文《隹十四年、中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年、中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「隹」(唯・惟):「隹」は鳥の形です。説文には「鳥の短尾なるものの総名なり」とありますが、甲骨文では、神話的な鳥の表示に「鳥」を用いるのに対し、「隹」は一般的、特に鳥占いで神意を諮る際に用います。右側に大きく湾曲する線は本来の構造から離れて装飾的な表現に変化しています。語法としては「隹(こ)れ」というように発語として使われます。

「十」:算木に用いる棒を縦にした形です。甲骨文では横にした形が「一」、縦にした形が「十」、交差させた形が「五」となります。金文になると「十」を表す縦の線に肥点を加えるようになります。中山国の篆書ではその肥点が微細であるのが特徴です。

「四」:一から四までは算木を横にして重ねます。現在の「四」の形が登場するのは石鼓文からで息を表す「□(口+四) き」の省文によって仮借したものとされています。「四」のもとの字形は何の象か、口を開けた形にも見えますし、朙」の偏の書写体に似た形も見られますがはっきりとはわかっていません。なお、年を表記する際には、例えば戦国齊(桓公)陳侯午敦のように「十有(又)四年」という具合に「有(又)」を挟むことが多いのですが、中山国では他器でも入れていません。

「年」:稲を表す「禾(か)」と「人」から成る字です。禾は禾形の被りもので、農耕儀礼に稲魂(いなだま)である禾を被って舞う人の姿です。男が舞うのが「秊(年)」、女は「委」、子の場合は「季」となります。中山国の「年」は「和」や「委」の場合とは異なり、「人」を長脚にするために稲穂の下茎を略して書きます。なお、「人」単独では加えていないのですが、ここでは「人」の脚に肥点を入れています。

 

戦国中山王円鼎を習う(2)「中山王」

隹十四年中山王作鼑。于銘曰、於虖、語不(發)哉。寡人聞之。蒦(與)其汋(溺)於人施、寧汋於淵。》

隹(こ)れ、十四年中山王□(せき)、鼎を作る。銘に曰く、於虖(ああ)、語も□(悖・もとら)ざる哉(かな)。寡人之を聞けり。其の人に汋(おぼ)れんよりは、寧ろ淵に汋れよと。》

「中」: これは旗竿の形です。中央の円形は中軍(本陣)をも表し、上下に吹き流しを加えています。「史・事」などに含まれる祝詞を入れる器とは異なると考えられています。また、吹き流しの向きを左右逆にして配する形をたまに見かけます。変化を加えようという狙いかもしれませんが、古にそのような字例はなく、風の向きに逆らった不自然なもので誤りです。縦画は垂直で細くします。呼吸を長く穂先に神経を集中、しっかりと刻むようにして強靱な線条にすることが肝心です。中山国の篆書を習う際、最も重要な点は線の強靱さです。なお、縦画の下部は器面を刻んだ線の末尾が細くなっていて、拓を採る際に墨が埋まってしまい、あたかも線が短いように見えますが、実際には細い繊細な線がありますので拓本から習う際は注意が必要です。

「山」: 中心の縦画を傾けず、息長く刻みつけるようにして筆を運びます。下部の囲まれた部分ですが、拓影には字画に囲まれた部分が残っているので余白を残すべきですが、別の「山」ではその部分をくり抜いているものも認められます。書く際は残しても塗りつぶしてもどちらでもかまわないと思います。

「王」: 鉞(まさかり)の刃を下に向けた形です。王は上2本の横画を寄せるのですが、長脚を強調するために下の横画との間を広く取っています。ちなみに3本の横画の分間を均等にすると「玉」となります。

「」: 読み方は昔が含まれることから「さく・せき」とする説があります。難しい字形ですが、「昔」以外の部分は、「興」の上部とは異なるものなので活字にこれをあてることは誤りです。これは、「沬」(読みはび、まい、かい  意はあらう、きよめる)の初字と同系のもので、頭髪を洗うために水盤(たらいの様な物)をひっくり返している形からなるもので、既製の活字体にないので外字を作成して貼り付けました。画像を参照して下さい。筆順は両手を書いてから水盤を書くという流れが良いと思います。

「恭敬忠」3

《論語》子路第十三「居處恭執事敬與人忠」から採った「恭敬忠」。今日はその3です。書体は戦国中山国篆です。「恭」と「忠」双方に入る「心」の変化と、「敬」の縦に伸びる線との調和が鍵となります。

「恭敬忠」3
29㎜×29㎜