戦国中山王方壺を習う(14)

(詆)郾(燕)之訛]   燕の訛(あやま)りを詆(そし)り

」(詆):は詆(テイ)の異体字。しかる・そしる・はずかしめる等の意があります。《字通》を引用すると、「氐(テイ)は曲刀を以て底部を刳(えぐ)りとる形。そのようにしてものを毀損する意がある」とあります。下の横画は底を表し、「氏」部の左の巻き込みは中山篆特有のものです。

「郾」(燕):古代中国の燕国を金文では音の近い「郾」字で表記します。「匽(エン)は秘匿の場所(匸)で、女子に玉(日)を加えて魂振りをすること」と《字通》にあります。魂振りとは神の気を招くことで自身の霊魂を充実させることです。

「之」:足跡の形と境界を示す横画からなります。

「訛」:譌が正字で、訛は異体字とされていますが、譌の声符は爲(イ)であり、両字は同義により通用する関係ともいえます。「いつわる・あやまり」などの意です。

 

戦国中山王方壺を習う(13)

[昭察皇功]   皇功を昭察す

 

[卲](昭):卲(ショウ)は昭の古字。神の降り到ることを拝して求め、そして迎える形。字訓は「あきらか・あらわす・かがやく」など。「昭」の字形は戦国期羌鐘(ひょうきょうしょう)に、「卲」の字形に「日」が加わった姿で登場し、その後は「卩」を省いたものが定着していきます。

」(察):この字を何の字に通仮させているかについてはいくつもの説があります。一つ目は「跋」とする説。「」(フツ・ハツ)の略体と捉えて跋文の「跋」(バツ)に通じるとし、「留め記す」と解するものです。しかし、犬の耳がなく、去勢の画が湾曲しすぎている点が気になります。二つ目は、「肆」(シ)とする説。「肆」はもと「」と書く字で、「ころす、つらねる、ならう、おさめる、くるしむ、ながいえだ、えださき、あまる、しらべる」などの意をもちます。この字が含む「隶」(タイ)の字形は蔡・祟・殺・(テイ)に共通するもので、たたりをもたらす獣を殺して敵の呪いを防ぐ呪儀をあらわしています。また、これと似たものに「求」もあります。これらと比べると尾毛の部分が一画少ないものの、確かに字形からすれば近似しているといえます。白川静氏もこの一系の「蔡」の字形とみて「察」説をとり、音通によって「察」の通仮字としています。これが3つ目の説です。「察」には「つまびらかにする」意があり、「皇功を昭察す」と、文脈にも適うように思われます。4つ目は、「豕」(タク)の古文「」が似ているとして「琢」、つまり琱琢(チョウタク)で削り刻す意であろうとするものです。これは小南一郎氏が呈示している説です。張守中氏の《中山王器文字編》を参照すると、当該字は「蔡」「」(肆)とは同系とすることを避け、「」のままにしています。諸説紛々。いずれも裏付けとしては決定的な証左に欠けますが、ここでは「察」説に従うこととしました。

「皇」:王の象徴である鉞の上部に玉飾りがついている形です。

「工」(功):「工」には巫祝、楽人、神につかえる者、たくみ、工作者、作る、つかさ、役人、てがら、業績などの意があって「功」に通用します。上下を少し詰めて書きます。

戦国中山王方壺を習う(12)

[ 因載所美]   因りて美しとする所を載(おこな)ひ

「因」:筵(むしろ)や茵(しとね)に人が大の字になって臥する形です。むしろは座するとき常に用いるので、「つねに・もと・よる・たよる・ふるい」などの意を持ちます。

」(載):声符は「」またはそれに含まれる「才」。「才」は神樹に祝禱の器を架けた形。中山篆は「戈」を略した構成になっています。軍旅に際して兵車を祓う行為と思われ、「はじめる・おこなう・のせる」などの字訓を持ちます。

「所」:戸(霊廟の扉)と斤(呪鎮に用いる祭器)とからなり、聖所をさす字です。

「美」:羊の全体の姿です。字訓は「うつくしい・よい・ほめる」など。下部の「大」と「羊」を組み合わせた字は「達」の声符である「羍」(タツ)となり、羊が子を産む様をあらわします。

 

戦国中山王方壺を習う(11)

[不敢怠荒]   敢えて怠荒せず

「不」:花の萼柎(がくふ)の形。否定・打ち消しに用います。

「敢」:前回の「嚴」に含まれていました。《字通》には「金文の字形は、杓を以て鬯酒(ちようしゆ)をそそぎ、儀礼の場所を清める灌鬯の礼を示す。厳恭の意で、極度につつしむ意。敢てその尊厳のことを行うので、つつしんでの意より、敢てするの意となる。「敢て」とは、つつしんでの意」とあります。

「怠」:声符の「台」は農耕の耜を供える祭事。「台」は「以」(人+ム)と同源であることから、「以」と「心」からなる構成になったと思われます。

「荒」:声符の「巟」(コウ)は残骨から頭髪が垂れたおぞましい姿です。「怠荒」とは怠り、なおざりにする意で、「遑」の字を充てることもあります。なお、頭髪部の装飾的表現は、「獵」(リョウ)字と共通したものですが、「巤」について、白川静氏は「上部は馬のたてがみ、下部は足と尾」と垂れた頭髪とは別のものとしています。「亡」は点を添えるものとそうでないものと2者あります。

戦国中山王方壺を習う(10)

[穆々濟々巌敬]   穆々済々、厳として敬(つつ)しみ

「穆」:垂れた穂の実が、今まさに弾けようとする象。声符「㣎」(ボク)の「白」が実、「小」が弾け始めるさま、「彡」が内から外への波動をあらわしています。重文符号がついて「穆々」となり、慎み深くする意となります。

「濟」:「齊」が声符でもとは川を渡る意で、そこから派生して成就・救済の意をもつようになりました。「穆」と同様に、重文符号をつけて「濟々」とし、慎み深くする意となります。

「厳」:「」(ゲン)が「嚴」の初文です。この「」については、《字通》に「は嚴の初文で、金文に敢・・嚴を同義に用いる。「敢て」というのは「粛(つつし)みて」というのと同じ。敢は鬯酒(ちようしゆ)(におい酒)を酌(く)む形で灌鬯(かんちやう)の儀礼を示す。厂は崖下の聖所を示す形であるが、金文の字形は廟屋に従う。廟中で灌鬯の儀礼を厳修する意」とあります。金文の字形は祝禱の器が2つのものと3つのものの両方みられます。

「敬」:甲骨文は羊の頭をした人が跪く姿です。これは「茍」(ケイ・キョウ)の「」の部分にあたりますが、「羌」と同じものです。中山諸器の侯鉞では「羌」形からなる「敬」もみることができます。羌は古代中国の西域で遊牧を営んでいた少数民族です。殷と対抗勢力であったために殷に囚われ生け贄とされたことが甲骨に記されています。その生け贄を撃ちていましめるわけですが、「敬」の意はあくまでも神につかえる際の心意となります。周になって祝禱の器や羌人を撃つ象「攴」が加わっていきますが、ここでは祝禱の器を省略した形です。

戦国中山王方壺を習う(9)

[以祀先王]   以て先王を祀らしむ

「以」:前回に続いて2回目です。

「祀」:声符の「巳」(シ)は蛇の象で、「祀」は自然神を祀ることです。この字は方壺に2例出てきますが、飾画の部分は、他方は渦紋となっているのに対して、これは簡略な表現です。2画の間隔は渦紋には狭く、接写画像を確認しても埋銹は認められません。なお、中山篆特有の飾画は外へ開くようにするのが原則になっていますが、この「祀」だけは内側に向けています。おそらくは「巳」の尾を外に開いたことに配慮しての意匠かと思われます。

「先」:「人」の上に強調する動作・状態を示す要素を載せる造字法です。「之」は足の象ですから歩を進めること、先立つなどの意を持ちます。

「王」:2回目。大きな鉞の刃を下にした形です。上の横画二本を接近させます。等分間にすると「玉」となります。

 

戦国中山王方壺を習う(8)

[ム(以)卿(饗)上帝]   以て上帝に饗し

「ム」(以):耜(すき)の象形で、「」と表記することもあります。「㠯」(※㠯は台?)も同じで、「以」は「ム」(耜)に人を加えたものです。

「卿」(饗):《字通》を引用すると、「(き)の省形+卯。は祭祀や饗宴に用いる盛食の器。卯は二人対坐する形。をはさんで二人対坐し、饗食する形であるから饗宴の意となり、またその礼にあずかる身分のものを卿という。金文は卿の一字を饗宴・北嚮の嚮・公卿の三義に用いる。饗・嚮は卿より分化した字。故郷の郷(鄕)ももと卿と同形の字。おそらく郷党の代表が政治に参加し、饗宴にも与ったのであろう。のち卿・鄕の二字に分化するのは、慣用によるものであろう。」とあります。

「上」:西周以前の古い字形は手のひらの上に指示点を加えたものです。後に上に伸びる縦画が加わりました。

「帝」:帝は脚を交叉させた祭卓です。中山篆の字形の一部は、木を編んだ柵である「用」に作っていますが、もとより「用」に従う字ではありません。しかしながら、郭店楚簡にはこれと同様の形が散見されます。

 

戦国中山王方壺を習う(7)

[可灋可尚]   灋(のり)あるべく尚(つね)あるべからしめ

「可」:木の枝をあらわす(カ)と祝祷の器(サイ)とからなる字。木の枝によって祝祷の器を殴ち、神に承諾を促す様をあらわしています。は一体のものなので、本来であれば筆順は連続されるべきものと思います。

「灋」:「所」を参照すれば明らかですが、中山篆の場合は他の字例と異なり廟扉である「戸」にしたがっている点が特徴的です。一般的な字例の場合、《字通》には「法の正字は灋に作り、水+廌(たい)+去(きよ)。廌は神判に用いる神羊で獬廌(かいたい)、また獬豸(かいち)とよばれる獣の形。去は大+(きよ)の会意字で、大は人、は獄訟のとき自己詛盟した盟誓の器の、蓋(ふた)をとり去った形。敗訴者の盟誓は、虚偽として蓋をとり去って無効とされ、その人(大)と、また獬廌もともに水に投棄され、すべて廃される。金文に「朕(わ)が命を灋(はい)(廃)すること勿(なか)れ」のように、灋を廃の意に用いる。法はその廌を省いた簡略字である」とあります。ただ、去が大(人の正面形)ととからなるという部分については、確かに甲骨文にはその字例もあり、戦国秦の法治富国強兵を行った商鞅の青銅器「方升」や楚簡、秦簡などにしばしばみられるものの、西周の青銅諸器の字形はが多くみられることも事実です。「廌」部の左、巻き上げるような線によって密を尽くす部分はあまりにも繊細なために拓影に反映されない場合がありますので拓の選択には注意が必要です。

「可」:2回目です。

「尚」:廟屋に祝祷の器を置いた形「向」とそこに神気が顕れる様の「八」とからなる字です。「向」は家や宇、安などと同様に、廟屋をあらわすウ冠からなる構造です。なお、神気「八」の下にある小さな画は、こしきから湯気が立ち上る様「曾」(ソウ)の字形にもみられるものです。

戦国中山王方壺を習う(6)

[節于    (インセイ)に節あり         

※祭祀の際の用酒法に節度あらしめ

「節」:声符は卽。竹の節(ふし)をあらわす字。ここでは節度の意。《字通》には「〔鄂君啓節(がくくんけいせつ)〕は楚の懐王六年、鄂君に与えた車節・舟節で、銅製の節であるが、竹節の形に鋳こまれている。〔周礼、秋官、小行人〕に六節の規定があり、道路・門関・都鄙の管節はみな竹符を用いた。符節によってその行為が規定されているので、節度・節義・節操の意となり、また節侯・節奏など、すべて秩序・法度のある意に用いる」とあります。

「于」:《字通》によれば「字形は、曲がった形を作るためのそえ木。また刃の長い曲刀の形。卜文・金文のは、弓にそえ木をそえた形である」とあります。

」(イン):小南一郎氏はこの字を、《詩経》大雅生民など古典にしばしば出てくる「禋祀」にあたり、誠意をもって神を祀ることとしています。また、白川静氏はこれを「天の祭祀」とし、さらに「垔」(イン)は竈と煙の吹き出し口の「窗」とからなる形で、「煙」の初文。「西」の部分は籠の形「西」(セイ)とは別のものであるとしています。

」(セイ):「齊」の字形の下にある二本の横棒は簪を立てる台の形を簡略化したものです。《周禮》天官・酒正には祭祀における用酒の法が述べられていて、「辨五齊之名。一曰泛齊、二曰醴齊、三曰盍齊、四曰経齊、五曰沈齊。」と出てくる「齊」は祭祀に用いる飲み物。はこの「齊」をさします。なお、この後に続けて、「辨三酒之物…」とある「酒」は「齊」とは異なり人が飲むものためのもののようです。

戦国中山王方壺を習う(5)

[鑄爲彝壺] 鋳て彝壺を為(つく)る

「鑄」:中山篆は「金」と「寸」とからなる字形となっています。「寸」が「チュウ」の音を持つことについて、白川静はおそらく「丑」の省形だろうとしていますが、少々無理があるように思えます。「壽」の字形は、西周中期以降になって、下部に「又」(手)が加わるようになりますが、その「又」を残した省形の可能性があるように思えます。この「金+寸」の字形は「壽」を構成素に含む他の一般的な系統とは一線を画すものです。ただ、戦国三晋(晋から分離した趙・魏・韓)の魏国の文字と構成が共通していることが《金文編》で確かめることができます。 ※下に関連資料を添えておきます。

「爲」:右脇の本来渦紋とすべきところが簡略化されています。方壺のもう一つの字例は渦紋ですし、他の中山三器もすべて渦紋なのですが、唯一この字だけが例外となっています。接写画像を確認しても器面の傷などではなさそうです。

「彝」:この字形も、一般的な金文とは異なります。左の羽根を思わせる姿は説文古文の字形に近いものです。右上の糸形は羽交い締めを固定するための糸ですが、羽根から離れてしまったために、この字形からは、本来の鶏を羽交い締めにする様は想像ができません。

「壺」:壺の器と蓋を合わせた全形です。壺の字は中山三器では方壺のみ2例登場します。

《鋳に関する資料》

商周青銅器銘文選
金文編