戦国中山王方壺を習う(10)

[穆々濟々巌敬]   穆々済々、厳として敬(つつ)しみ

「穆」:垂れた穂の実が、今まさに弾けようとする象。声符「㣎」(ボク)の「白」が実、「小」が弾け始めるさま、「彡」が内から外への波動をあらわしています。重文符号がついて「穆々」となり、慎み深くする意となります。

「濟」:「齊」が声符でもとは川を渡る意で、そこから派生して成就・救済の意をもつようになりました。「穆」と同様に、重文符号をつけて「濟々」とし、慎み深くする意となります。

「厳」:「」(ゲン)が「嚴」の初文です。この「」については、《字通》に「は嚴の初文で、金文に敢・・嚴を同義に用いる。「敢て」というのは「粛(つつし)みて」というのと同じ。敢は鬯酒(ちようしゆ)(におい酒)を酌(く)む形で灌鬯(かんちやう)の儀礼を示す。厂は崖下の聖所を示す形であるが、金文の字形は廟屋に従う。廟中で灌鬯の儀礼を厳修する意」とあります。金文の字形は祝禱の器が2つのものと3つのものの両方みられます。

「敬」:甲骨文は羊の頭をした人が跪く姿です。これは「茍」(ケイ・キョウ)の「」の部分にあたりますが、「羌」と同じものです。中山諸器の侯鉞では「羌」形からなる「敬」もみることができます。羌は古代中国の西域で遊牧を営んでいた少数民族です。殷と対抗勢力であったために殷に囚われ生け贄とされたことが甲骨に記されています。その生け贄を撃ちていましめるわけですが、「敬」の意はあくまでも神につかえる際の心意となります。周になって祝禱の器や羌人を撃つ象「攴」が加わっていきますが、ここでは祝禱の器を省略した形です。