「観星」引首印

論語為政篇に「子曰。為政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。」(読み:子曰く、政を為すに徳を以てするは、たとへば北辰其の所に居りて、衆星の之にむかふが如し、と。)とあります。天空遙か取り巻く衆星の中心にあってその立ち位置を揺るがせにせず、常に光を発し続ける北極星は航海の重要な指標です。

「観星」でいう星とはその北極星のことであり、また、不易なる価値と品格を有す先賢古典群を指します。「観星」の印はすでに私が主宰する観星楼書道篆刻研究院のロゴとしても使っているのですが、あえて同じ語「観星」での引首印をとのご依頼によるものです。二つを並べてみました。

観星
24㎜×12㎜
観星 53㎜×54㎜

「弘麗温雅」(出典:『漢書』揚雄傳)

『漢書』揚雄伝上には、「是の時に先んじ、蜀に司馬相如有り。賦を作ること甚だ弘麗温雅なり。雄、心に之れを壯とし、賦を作る毎に、常に之れに擬して以て式と爲す。」とあります。

「弘麗温雅」の弘麗とは、「弘」が大いなる様ですから、すぐれて華麗であることをいいます。また、「弘」にはひろめる意もありますから、「麗」を周囲に伝播し影響を与える様とも解釈できます。そして温雅とは穏やかでうるわしいこと。『漢書』では、蜀の司馬相如が詠む賦の素晴らしさを評したくだりの句ですが、人物を評する表現としても良いと思います。

また、関連して『後漢書』周栄伝には、「臣伏して惟(おも)ふに、古者(いにしへ)帝王、號令する所有り、言は必ず弘雅、辭は必ず温麗、後世に垂れ、典經に列す。」と似た表現もあります。弘雅とは高雅のことです。

雅印を兼ねる成語印とのご依頼。姓名に「弘」字を含む依頼女史の印象から選んだ句です。

弘麗温雅
25㎜×25㎜

「獨泛扁舟」 (原采蘋詩「若津別廉叔」)

「獨泛扁舟」   独り扁舟を泛(うか)ぶ 

原采蘋(はらさいひん)(1798~1859)は、江馬細香・梁川紅蘭らとならぶ江戸後期の女流詩人。好酒、男装、帯刀で遊歴し、生涯独身を貫いています。江戸後期には、彼女を含め私が少なからず惹かれている三人の才女がいます。江馬細香の存在は、篆刻にも造詣が深かった頼山陽に興味を抱きその書幅や印譜を蒐集した頃に知りました。頼山陽が師弟の規を越えて彼女に強く惹かれていた姿に、私も次第に影響を受けるようになりました。大田垣蓮月はその艶やかで個性的な仮名に惹かれています。幸いにも、彼女が使用していたと思われる優雅な扇面が我が拙齋に帰しています。

今回紹介する印「獨泛扁舟」は原采蘋が詠んだ詩からとったもので、今の自分の心境に沁み入る句です。扁舟とは一艘(そう)の小さな舟のこと。原采蘋がいよいよ一人旅を始めたとき、広瀬淡窓の門下にあった和田廉叔のもとにしばらく滞在するのですが、「若津別廉叔」は若津港(故郷筑前の港)で和田廉叔と別れる時に詠んだもの。彼女の自筆本『西遊日歴』(晩年、母の病床を見舞うために江戸から帰郷した際の約2年間に及ぶ九州各地の遊歴記)の冒頭においていて、それは彼女の並々ならぬ覚悟を象徴する存在として位置づけていたように感じます。

「若津別廉叔」   若津にて和田廉叔に別る
徒惜解携到海灣   徒だ惜む 解きて携へ 海灣に到る
相看無語別願酸   相看て語無く 別願の酸
欲繡斯文豈容易   斯文を繡はんと欲すは、豈容易ならんや
獨泛扁舟渡碧瀾   獨り扁舟を泛べて碧瀾を渡る

※ 原采蘋に関しては、小谷喜久江「遊歴の漢詩人原采蘋の生涯と詩」            ― 孝と自我の狭間で ― を参考にさせていただきました。大変な労著で敬服に値する論文です。詳細に調べ上げた資料群を伴い、原采蘋の人間的魅力に迫る内容は、彼女をして主人公とするドラマ映画化を待望させるほどです。

 

書体は馬王堆帛書を基調としながらも、馬王堆に不足気味な躍動感を加味して表現しました。

獨泛扁舟
54㎜×48㎜

一字印「明」

今日ご覧いただくのも一字印。主に少字数の作品を発表されている書作家先生からのご依頼です。「明」は殷代甲骨文のフォルムを基調にして表現しました。「明」は本来、「朙」であって偏に当たる部分「囧(けい)」は竪穴式住居の窓を表しています。また、「窓」は正字が「窗」で、「朙」の偏「囧(けい)」と同様に「囱(そう)」が窓の形を表しています。

『字通』(白川静)によれば、「黄土層の地帯では地下に居室を作ることが多く、中央に方坑、その四方に横穴式の居室を作る。窓は方坑に面する一面のみで、そこから光をとる。光の入る所が神を迎えるところであった。この方坑の亞(亜)字形が明堂や墓坑の原型をなすものであったと考えられる。」とあります。

この一字印「明」は、月の光が窓に差し込む構図をイメージした作品です。

「明」
35㎜×35㎜
ヤオトン(中国・陝西省乾県)          大和ハウス工業(株)HPより

現代美術作家の雅印2 「裕」

昨日に続き現代美術作家の雅印をご紹介します。今回は私の友人でもある先生からのご依頼によるもので、「裕」一字印、書体は金文、大きさは25㎜角です。

「谷」の字形には二系あり、一つは谿谷の谷(こく)。谷の入口を表し、左右から迫る様を表す部分と谷口が低く∨字形に狭まった様を表す部分からなります。もう一つは、この「裕」に含む「谷」(よう)。先人の霊が彷彿としてその形容をあらわす様で、神気の現れる様を表す部分と白川漢字学の核心ともいえる祝詞を収める器「さい」から構成されています。「裕」とは衣裳に神気が纏う様を表している字です。

今回のデザインでこだわった点は、シンメトリックに近い字形に変化と躍動感を加えること、そして固定観念に囚われない辺縁(周囲の枠)の文字との一体化です。

雅印「裕」
25㎜×25㎜

 

現代美術作家の雅印 「卓」

今回ご紹介する雅印は、現代美術界でご活躍中の先生からご依頼の「卓」一字印。大きさは18㎜角です。

「卓」は大きめの匙とされています。この天星観楚簡や包山楚簡から馬王堆帛書や漢代隷書への変遷が穏やかである一方、周代金文から楚簡への変遷経緯にはなお不明な部分があります。

今回は依頼氏が既に所有されている印の書体(小篆)とは異なるものが良いと判断し、楚簡の中でも湖北省荊州の天星観楚墓より発見されたものを採用しました。天星観については、2012年に東京国立博物館で開催された特別展「中国 王朝の至宝」に展示された「羽人」や「虎座鳳凰架鼓」などが同墓出土品として知られており、文字造形につながる高い工芸技術と美意識を髣髴とさせます。

「卓」 文字は天星観から出土した楚簡(18㎜×18㎜)
天星観二号墓出土「羽人」像              (東京国立博物館HPより転載)
天星観二号墓出土「虎座鳳凰架鼓」            (東京国立博物館HPより転載)

 

郷土で育てる書文化「黄梅寺第四世光雲和尚壽藏碑」

5月1日に催された、下野市書道連盟講話会のご報告です。私の居住地である栃木県下野市には、江戸後期の儒学者である亀田鵬齋の書になる「黄梅寺第四世光雲和尚壽藏碑」がその廃寺跡に人知れず遺されています。今回の講話会ではこの碑について講師を担当しました。

 郷土に遺された碑石に関しては、意外に地元の書道愛好者が知らないという現状があるように思います。書文化啓蒙に関するテーマの一つとして早急に取り組むべきものです。なぜなら、その殆どが雨風に晒され、日々劣化の一途を辿っているからです。

講話会で使用したパワーポイント資料を紹介します。

令和4年度講話会(「郷土で育てる書文化」黄梅寺第四世光雲和尚壽藏碑)