「観於海者難為水」は呉譲之が好んで良く刻していますね。少なくとも大小5顆を目にしています。さて、自分ならばどうするか。
先ず、呉譲之が自用とした5面印に含まれているものを紹介します。

30㎜×30㎜
次に拙作。『孟子』尽心上に従い、「於」を入れて刻しました。

34㎜×34㎜
もう一つは「事同観海義等窺天」(沈約『梁武帝集序』)です。

45㎜×44㎜
「観於海者難為水」は呉譲之が好んで良く刻していますね。少なくとも大小5顆を目にしています。さて、自分ならばどうするか。
先ず、呉譲之が自用とした5面印に含まれているものを紹介します。
次に拙作。『孟子』尽心上に従い、「於」を入れて刻しました。
もう一つは「事同観海義等窺天」(沈約『梁武帝集序』)です。
書は上海楚簡(上海が出土地というわけではない)から採った表現で、郭店や包山に近いものとなります。篆刻は西周金文と小篆の2貌です。
69㎝×35㎝
74㎜×74㎜
30㎜×15㎜
家蔵《秦公鎛拓》から印文と風趣を採取した作品です。
拓は家蔵拓と二玄社中国法書選の2つを並べてみました。印刷された法帖でも良いのですが、やはりレンズ一つで捉えた平面情報。原拓の場合の『立体感』は創作意欲をより一層掻き立てます。拓影の姿態をもとに、より美しく自分なりに意匠を加えて再構築します。
「翼受明徳」とは「明徳を守り受けること」です。
98㎜×23㎜
私が、常日頃印文を選ぶ際に参考にするものの例として、白川静先生著の『字統』と『字通』があります。特に『字通』にはPC版があってとても重宝します。
今回ご紹介するのは、「神気」をテーマにしたもの篆刻2点です。
「神気」については、『字通』には〔礼記、孔子間居〕の一文を引用して、「地は神氣を載す。神氣は風霆(ふうてい)なり。風霆形を流(し)き、庶物露生す。教へに非ざる無きなり。清明躬(み)に在れば、氣志神の如し。」とあります。風霆とは風と雷です。「神」の字形が稲妻の象(申の部分)であることは良く知られるところですが、古代人が轟音と閃光を伴った稲妻を目にしたときの衝撃は如何ばかりであったか、瞬間、人知を超えた神の存在を確信したに違いありません。
また、昨年の12月20日に「仰観宇宙之大 俯察品類之類」を投稿した際にはこれが易経繋辞上伝にある一文を引用敷衍していることにふれましたが、これもふまえて印文「観神」と「観神察気」の二つを設定しました。
①「観神」
②「観神察気」
「師の影を追わず、師の求めたるを索む。師の求めたるは古典なり。なれば師を古典に求む。」これは高校教師だった時に常々生徒らに伝えてきたこと。実はそれ己の戒め。爾来「師古遊心」に到る。
「師古遊心」をテーマにした作品3点。書は中山国の篆書に拠るもの。篆刻は甲骨文と古璽に拠りました。ご高覧いただければ幸いです。
35㎝×132㎝
19㎜×37㎜
23㎜×23㎜
前回は戦国中期の《郭店楚簡》に倣った書作品をご紹介しましたが、今回は楷書の作品と篆刻2貌のご高覧をお願いいたします。
楷書作品。これは伊藤伸先生の遺風を回想しながら書いたものです。伊藤先生は西川寧門下にあって将来を嘱望された天才。西川門下の系流の後継と目されていただけに、不慮の怪我による夭折は書道界の大きな損失でした。わが栃木県の出身である先生が県下随一の進学校である宇都宮高校に通っていたころ、志高一念発起して西川寧の門を敲いたと聞いています。その宇都宮高校で書道教師として最後の教鞭をとった私にとっても、どこか惹きつけられる大きな存在となっていました。高校教師となったばかりの頃は、伊藤先生が指導された筑波大学での開放講座に通い、直にご指導をいただいたこともあり、今では懐かしく貴重な思い出となっています。
書のダンディズムといえば、青山杉雨先生を思い浮かべる方が多いと思いますが、私は既に伊藤伸先生が実践されていた気がします。その伊藤先生がとりわけ精通していた北魏書の世界。西川寧とはまた別の、繊細で知的な感性を髣髴とする展開。是非、これからの書壇に受け継がれていくことを願っています。
38㎜×39㎜
56㎜×54㎜
《里耶秦簡》は2002年、湖南省竜山県里耶古城跡から発見された秦代の竹簡です。細密でありながら暢びやかで美しい結構と卓越した筆力を有する優品です。
私は作品制作の基本姿勢として『師古遊心』を大切にしたいと考えています。師は俗世の師ではなく、不易な価値を有する古典群です。
この里耶秦簡を『師』ととらえ、その美に『心を遊ばしめる』篆刻作品をと考えたものです。臨書作品とともにご高覧をお願いいたします。
拙作『老子仁徳篇倣郭店楚簡』です。
1月3日に投稿した《祀三公山碑》に関して、多くの方から関心を寄せていただきましたので、一行目行尾の「後、□惟」の□について、思い出したことを少し補足します。
この前後の碑文は、「…承饑衰之後、□惟三公御語山…」
大まかな意味は(この地が干魃による饑饉を承けて衰頽した後、馮氏は当地の奥地にある三公御語山の荒廃を深く愁い、かつてそこに祀っていた雨の神を別の山に召霊して祀り、降雨をもたらした。)となるであろうか。(拙訳)
この □ を識者は、①恭 ②敬 ③深 などとしていているが断定には至っていない。そこで、
(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)
(2)上海図書館蔵本(熹字不損本)
(3)家蔵本
の三種をもとに総合的に検証してみた。
(1)飲氷室蔵本(梁啓超旧題、陳振濂新跋)
おわかりの通り、問題の字に収蔵印が鈐印してある。残念ながら、これでは字形を確かめるのに支障が生じてしまう。まさにこれは拓の真価を貶める行為で不見識の誹りを免れない。
(2)上海図書館蔵本(熹字不損)
拓調は明瞭である。しかし、この上海図書館蔵本は旧拓に見せかけ字画を蘇らせるための塡墨の跡が散見されるので注意が必要である。
(3)家蔵本
家蔵本は塡墨や描画の跡は認められないが、墨が厚く、点画に入り込んで潰している可能性も考慮する必要がある。
[結論]