戦国中山王方壺を習う(17)

[文武(桓)(祖)」  文武、桓祖

「文」:甲骨文や金文の字形は、人の正面形の胸部に文身(入れ墨)の文様を加えた形です。それより「あや・もよう・かざり」の意を持ちます。ここでは、この方壺の作者である(サク)に繋がる中山国の初代から4代までの王統について触れています。つまり、中山国王の系譜は①文公(中山国初代の君主)②武公(B.C.414即位、B.C.406魏によって滅ぶ)③桓公(B.C.380頃 中山国を復興)④成公⑤(サク)(方壺、円鼎の作者)⑥ (シシ)(円壺の作者でB.C.299に趙に敗れ、逃亡先の齊で死去)⑦尚(中山国最後の王、B.C.296 趙の武霊王によって中山国は滅ぶ)となっています。

「武」:足の形で歩の省略形である止(し)と武具のほこである戈(か)からなり、戈(ほこ)を執って行軍することをいいます。

」(桓):走繞のこの字は通常エンと発音しますが、声符の「亘」はカンの他、エンの音も持ちます。字形は二線を配した区画の間でめぐる形。ここでは「」が「桓」の仮借字として使われているようです。「桓」は軍営で武功を表彰するところに立てられた標木で、武勇の勇ましさをさす字ですが、ここでは中山国第3代の王名となります。

」(祖):前回に続いて2回目です。

戦国中山王方壺を習う(16)

[隹朕皇(祖)」  隹れ朕が皇祖

「隹」:2回目となります。

「朕」:が正字。祭器の盤である「舟」と両手でものを奉ずる形「」(そう)からなる字。金文では一人称の代名詞で用い、秦になって始皇帝がこれを以て自称するようになりました。

「皇」:2回目です。

」(祖):一般的な「祖」と違い、中山篆は祭卓「示」と祭祀に供える肉片を列べた形「俎」と手を表す「又」とからなる字です。

戦国中山王方壺を習う(15)

[以憼(警)嗣王]   以て嗣王を警(いま)しむ

「ム」(以):3回目です。

「憼」(警):「敬」は10回目に登場していますが、もともと「敬」は生け贄の羌人と祝禱の器を打って神意に責める字で「いましめる」意を持ち、後に神への心意に特化して「うやまう」意が付加されるに及んで、「いましめる」意に「憼(儆)・警」などが孳乳しました。中山国諸器では方壺で「敬」と「憼」(警)を区別して使用しているのにも関わらず、侯鉞では「敬」の字形をそのまま「憼・儆・警」として用いる例が認められます。戦国期中山篆の鷹揚性ともいえる一例です。

「嗣」:この字について《字通》には「司(し)+口((さい))+冊(さく)。司は祝禱の器()をひらいて神意を伺う意。冊は冊祝して神に告げる意。嗣続の大事を以て神意を問うものであろう」とあります。重複する(さい)を間に据えた構成には中山国人の秀でた造形感性をみることができます。

「王」:3回目です。縦画の位置は「嗣」の「冊」中央の縦画に揃えて書きます。

 

 

 

戦国中山王方壺を習う(14)

(詆)郾(燕)之訛]   燕の訛(あやま)りを詆(そし)り

」(詆):は詆(テイ)の異体字。しかる・そしる・はずかしめる等の意があります。《字通》を引用すると、「氐(テイ)は曲刀を以て底部を刳(えぐ)りとる形。そのようにしてものを毀損する意がある」とあります。下の横画は底を表し、「氏」部の左の巻き込みは中山篆特有のものです。

「郾」(燕):古代中国の燕国を金文では音の近い「郾」字で表記します。「匽(エン)は秘匿の場所(匸)で、女子に玉(日)を加えて魂振りをすること」と《字通》にあります。魂振りとは神の気を招くことで自身の霊魂を充実させることです。

「之」:足跡の形と境界を示す横画からなります。

「訛」:譌が正字で、訛は異体字とされていますが、譌の声符は爲(イ)であり、両字は同義により通用する関係ともいえます。「いつわる・あやまり」などの意です。

 

戦国中山王方壺を習う(13)

[昭察皇功]   皇功を昭察す

 

[卲](昭):卲(ショウ)は昭の古字。神の降り到ることを拝して求め、そして迎える形。字訓は「あきらか・あらわす・かがやく」など。「昭」の字形は戦国期羌鐘(ひょうきょうしょう)に、「卲」の字形に「日」が加わった姿で登場し、その後は「卩」を省いたものが定着していきます。

」(察):この字を何の字に通仮させているかについてはいくつもの説があります。一つ目は「跋」とする説。「」(フツ・ハツ)の略体と捉えて跋文の「跋」(バツ)に通じるとし、「留め記す」と解するものです。しかし、犬の耳がなく、去勢の画が湾曲しすぎている点が気になります。二つ目は、「肆」(シ)とする説。「肆」はもと「」と書く字で、「ころす、つらねる、ならう、おさめる、くるしむ、ながいえだ、えださき、あまる、しらべる」などの意をもちます。この字が含む「隶」(タイ)の字形は蔡・祟・殺・(テイ)に共通するもので、たたりをもたらす獣を殺して敵の呪いを防ぐ呪儀をあらわしています。また、これと似たものに「求」もあります。これらと比べると尾毛の部分が一画少ないものの、確かに字形からすれば近似しているといえます。白川静氏もこの一系の「蔡」の字形とみて「察」説をとり、音通によって「察」の通仮字としています。これが3つ目の説です。「察」には「つまびらかにする」意があり、「皇功を昭察す」と、文脈にも適うように思われます。4つ目は、「豕」(タク)の古文「」が似ているとして「琢」、つまり琱琢(チョウタク)で削り刻す意であろうとするものです。これは小南一郎氏が呈示している説です。張守中氏の《中山王器文字編》を参照すると、当該字は「蔡」「」(肆)とは同系とすることを避け、「」のままにしています。諸説紛々。いずれも裏付けとしては決定的な証左に欠けますが、ここでは「察」説に従うこととしました。

「皇」:王の象徴である鉞の上部に玉飾りがついている形です。

「工」(功):「工」には巫祝、楽人、神につかえる者、たくみ、工作者、作る、つかさ、役人、てがら、業績などの意があって「功」に通用します。上下を少し詰めて書きます。

戦国中山王方壺を習う(12)

[ 因載所美]   因りて美しとする所を載(おこな)ひ

「因」:筵(むしろ)や茵(しとね)に人が大の字になって臥する形です。むしろは座するとき常に用いるので、「つねに・もと・よる・たよる・ふるい」などの意を持ちます。

」(載):声符は「」またはそれに含まれる「才」。「才」は神樹に祝禱の器を架けた形。中山篆は「戈」を略した構成になっています。軍旅に際して兵車を祓う行為と思われ、「はじめる・おこなう・のせる」などの字訓を持ちます。

「所」:戸(霊廟の扉)と斤(呪鎮に用いる祭器)とからなり、聖所をさす字です。

「美」:羊の全体の姿です。字訓は「うつくしい・よい・ほめる」など。下部の「大」と「羊」を組み合わせた字は「達」の声符である「羍」(タツ)となり、羊が子を産む様をあらわします。

 

戦国中山王方壺を習う(11)

[不敢怠荒]   敢えて怠荒せず

「不」:花の萼柎(がくふ)の形。否定・打ち消しに用います。

「敢」:前回の「嚴」に含まれていました。《字通》には「金文の字形は、杓を以て鬯酒(ちようしゆ)をそそぎ、儀礼の場所を清める灌鬯の礼を示す。厳恭の意で、極度につつしむ意。敢てその尊厳のことを行うので、つつしんでの意より、敢てするの意となる。「敢て」とは、つつしんでの意」とあります。

「怠」:声符の「台」は農耕の耜を供える祭事。「台」は「以」(人+ム)と同源であることから、「以」と「心」からなる構成になったと思われます。

「荒」:声符の「巟」(コウ)は残骨から頭髪が垂れたおぞましい姿です。「怠荒」とは怠り、なおざりにする意で、「遑」の字を充てることもあります。なお、頭髪部の装飾的表現は、「獵」(リョウ)字と共通したものですが、「巤」について、白川静氏は「上部は馬のたてがみ、下部は足と尾」と垂れた頭髪とは別のものとしています。「亡」は点を添えるものとそうでないものと2者あります。

戦国中山王方壺を習う(10)

[穆々濟々巌敬]   穆々済々、厳として敬(つつ)しみ

「穆」:垂れた穂の実が、今まさに弾けようとする象。声符「㣎」(ボク)の「白」が実、「小」が弾け始めるさま、「彡」が内から外への波動をあらわしています。重文符号がついて「穆々」となり、慎み深くする意となります。

「濟」:「齊」が声符でもとは川を渡る意で、そこから派生して成就・救済の意をもつようになりました。「穆」と同様に、重文符号をつけて「濟々」とし、慎み深くする意となります。

「厳」:「」(ゲン)が「嚴」の初文です。この「」については、《字通》に「は嚴の初文で、金文に敢・・嚴を同義に用いる。「敢て」というのは「粛(つつし)みて」というのと同じ。敢は鬯酒(ちようしゆ)(におい酒)を酌(く)む形で灌鬯(かんちやう)の儀礼を示す。厂は崖下の聖所を示す形であるが、金文の字形は廟屋に従う。廟中で灌鬯の儀礼を厳修する意」とあります。金文の字形は祝禱の器が2つのものと3つのものの両方みられます。

「敬」:甲骨文は羊の頭をした人が跪く姿です。これは「茍」(ケイ・キョウ)の「」の部分にあたりますが、「羌」と同じものです。中山諸器の侯鉞では「羌」形からなる「敬」もみることができます。羌は古代中国の西域で遊牧を営んでいた少数民族です。殷と対抗勢力であったために殷に囚われ生け贄とされたことが甲骨に記されています。その生け贄を撃ちていましめるわけですが、「敬」の意はあくまでも神につかえる際の心意となります。周になって祝禱の器や羌人を撃つ象「攴」が加わっていきますが、ここでは祝禱の器を省略した形です。

戦国中山王方壺を習う(9)

[以祀先王]   以て先王を祀らしむ

「以」:前回に続いて2回目です。

「祀」:声符の「巳」(シ)は蛇の象で、「祀」は自然神を祀ることです。この字は方壺に2例出てきますが、飾画の部分は、他方は渦紋となっているのに対して、これは簡略な表現です。2画の間隔は渦紋には狭く、接写画像を確認しても埋銹は認められません。なお、中山篆特有の飾画は外へ開くようにするのが原則になっていますが、この「祀」だけは内側に向けています。おそらくは「巳」の尾を外に開いたことに配慮しての意匠かと思われます。

「先」:「人」の上に強調する動作・状態を示す要素を載せる造字法です。「之」は足の象ですから歩を進めること、先立つなどの意を持ちます。

「王」:2回目。大きな鉞の刃を下にした形です。上の横画二本を接近させます。等分間にすると「玉」となります。