No.1  『夢庵蔵印』 (初印原鈐本)

家蔵『夢庵蔵印』について                               大浦舟人(号 星齋)

綴輯    太田孝太郎 (1881-1967)
上梓    大正9年(1920年)
装丁    初印原鈐本  1帙8冊
寸法(糎)    [帙]  縦21.8 横16.6 高9.2     [冊]  縦21.8  横16.0   厚0.8~1.5
帙題箋   「夢庵蔵印」隷書(手書き)
冊題箋   「夢庵蔵印」隷書(印刷) ※帙のものとは異なる
封面    「夢庵蔵印」篆書(印刷) ※羅振玉によるものか
序文      羅振玉(1866-1940) (印刷)
収蔵印   表紙裏に『自適齋珍蔵記』 各冊に鈐印
入手年月  2004年3月  ※南陽堂書房「和漢古書聚目」32号71
収録印数    439顆

封面 篆書「夢庵蔵印」

羅振玉による序文

 

 

 

 

 

 

 

河井荃廬刻「自適齋珍蔵記」が毎冊鈐印してある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察         
1  私蔵のものは、帙の折り目に傷みが認められるものの、印譜自体は保存状態が極めてよく、汚れや沁み、折れなどは少ない。
2  全冊の表紙の返しには収蔵印『自適齋珍蔵記』が鈐してある。これは太田夢庵が古印蒐集の際に助言を求めていた河井荃廬(1871-1945) が33歳(1904年)の時に刻したものであるが、この印について、西川寧氏(1902-1989)は「河井荃廬の篆刻」(二玄社)の後序に田口二洲の現有であると記している。田口二洲なる人物については審らかでないが、お茶の水にある南陽堂書房(今年2019年2月閉店?)の楠林勝二氏が北川博邦氏に問い合わせたところ、田口米舫(1861-1930 墓所は東京谷中の全生庵)の子息で河井荃廬の門人ではないかとのことである。気学研究者の初代田口二州との関連も一瞬脳裏をかすめたが、未だ不明のままである。しかも、今のところ「自適齋」が田口氏の号または室号であるとの確証もない。太田夢庵と河井荃廬の双方共に師事した先師小林斗盦先生に尋ねることを躊躇したこと、今となっては悔責の至りである。
 なお、太田夢庵刻とされる「田口之印」(制作年不明)が小西憲一「『彫蟲』と太田夢庵」(富山県篆刻研究会刻心社『太田夢庵蔵印選』2012年)に載せられているとのことだが、基本的な印式から外れており、夢庵が刻したとは思えない。そこに関連があるかどうかも未確認のままである。
3  再印本は初印原鈐本から6年後の大正15年(1926年)に21印減じて10部作成されていることから、初版本がその数を上回ることは考えにくく、極めて限定的な数と思われる。小林斗盦氏は晩年、私蔵に横田実氏所蔵のものと同氏から譲られたものを加えた423件もの印譜を東京国立博物館に寄贈したが、その中に初印原鈐本「夢庵蔵印」が含まれている。ちなみに、髙山節也氏は編著「松丸東魚蒐集印譜解題」の中で、松丸東魚が所蔵していたものは再印本(十部の内の一)であることを明らかにしている。